本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-2
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
我々の心は、三種類あるが、しかし、主なものは二種類である・・・すなわち、善心と不善心である。
(+人が)善心を取る場合、その<今・ここ>において、不善心は生まれない。
不善心のある時、善心は生まれない。
布施、持戒、禅修は、善心である。
貪心、慢心、瞋心、嫉妬、吝嗇、後悔、懐疑は、不善心である。
心内が清浄であれば、軽安で安楽の果報があるが、これは善心である。
心内が不清浄であり、心が汚れていれば、痛苦の果報を受け取るが、これは不善心である。
果報を受け取る心は、ただ二種類である。
すなわち、善心と不善心である。
一心は、同時に二個の所縁を取らないため、善心ある時、同時に不善心が存在することはない。
故に、禅修の作用は、心をして、善なる所縁の上に保持せしめる事である。
この様であれば、心は不善を取らず、悪道に落ちる事もなくなり、そうなれば、仏陀、パーチェカ・ブッダ、阿羅漢の様に、煩悩から解脱する事ができる。
故に、輪廻から解脱する為には、必ず禅の修習をしなければならないし、修習して初めて、悪道に堕ちないですむ。
また、あなたが仏教徒であろうとなかろうと、何の宗教を信仰している人間であろうと、煩悩から解脱したいのであれば、必ず禅の修行をしなければならないのである。
(3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>