<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
もし、八関斎戒を受持した功徳が、臨終速行行業になるならば、天界(欲天界)に生まれ変わる事ができる。これほど八関斎戒の利益は、すごいものがあるのです。
午後、食事をしない事に関して、身体が病気をして死ぬのではないか、という心配は、しなくてもよい・・・もし、そうであるならば、私、師父(=禅師、指導者の中国語表現)は、もうとっくに病気をして、死んでいるであろう。
師父は、出家して20年になるが、それより以後、午後に食事をした事がない。
それでも、現在に至っても、問題はない。
ある時は、午後、何かを食べる夢を見ることがあるが、突然目覚めて・・・あら~私としたことが、午後食事するなんて、何てことを・・・と訝しく思った。
目が覚めてから、夢だったと知って、ホッとする・・・この様に、夢の中でさえも、午後食事するのを恐れるのです。
すべての病気は、食べる事に貪欲なために生じているのであって、小食の人間は、問題がないものである。
仏陀は29歳で出家して、35歳で仏陀になり、80歳に涅槃に入るまで、いつも午後は、食事をとらなかったし、厳重な業力による病以外、彼もまた健康であったと言える。
業力による病気は、あなたが食事してもしなくても、やってくる。
業力が熟した時、誰でも皆、一様に死ぬ。
過去世でなした悪業が熟す時、誰一人としてそれを拒否する事はできない。それは必ずやってくるのであって、ただ唯々諾々、受け取るより、他に方法はないのである。
故に、業力による病気は横において、今、余り貪欲に食べたりせず、午後、食事をしないでいれば、身体は必ず健康になる。
その点は、皆さん、安心してもよい。
午後食事をしない事には、以下の様な利点がある:
1、出費を抑えられる。
2、無料でダイエットできる。
3、八関斎戒の功徳を得ることができる。
4、来世において、天界に生まれる事ができる。
5、煩悩から解脱できる。
アメリカを例にとれば、一食の夕飯が20ドルとして、一か月では600ドルが節約でき、一年では7200ドルになる。
これらのお金を、父母に供養すれば、この功徳(利益)は、どれほど素晴らしいものになるか、それも態々何かをなす必要もなく、ただ午後食事をしない、だけである。
その節約したお金を、父母に供養すれば、父母は病院に行くにも、生活費にも余裕が出来、父母は大変に喜ぶに違いない。
こうした事から、八関斎戒の清浄を受持する事は(よいことながら)、アメリカ(台湾)では、八関斎戒清浄を受持する事が難しい(+事を師父も知っている)。
というのも、外部の物事にかかわる人間関係が多く、食事に行ったり、旅行する事が多いが故に。
(5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>まで。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>