<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
身念処とは、色法を所縁とするものである。
受、心、法念処は、名法を所縁とするものである。
ご飯を食べる時、私はこの食事をするのは、身体の健康のためであり、修行のためであると思惟するのは、如理作意であり、善心である。
この思惟する心は、その名を「意門心路過程」と言う;
如理作意の関係で、善心心路過程に属するものである。
▼善心の関係で、食事を思惟する、第一刹那心は、「意門転向心」と言う:
識、これは私の命を守ってくれる食べ物である(+という意識)。
触、この食べ物に接触する。
受、この食べ物を感受する。
・・・想、思、一境性、命根、作意、尋、伺、勝解、精進。
この、食事をする、という概念を所縁とするのは、「意門転向心」に属しており、ご飯を食べようとする「心」を心王とし、その他の「相応名法」を心所として、無常・苦・無我の練習をするのを『心念処』という。
(9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>