<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ある種の人々は、仏陀の世において、大阿羅漢はあまり修行をしていないのに、なぜ我々は、この様に多くを学ばなければならないのか、という疑問を持っている。
・・・というのも、あれらの尊者は、過去世において、すでに学習をしており、彼らの智慧はすでに円満であることから、彼らは、少しだけ法に近づいて、少しばかりの開示と修法を聞けば、非常に速く道智果智を得る事ができるのであった。
我々は、過去世における学習が少なすぎて、尊者方の様な智慧を持っていないが故に、快速に修法を証悟する事ができない。
故に、我々は、今、彼らについて行ける様に努力しなければならない。こういう事から、我々は尊者方の学習した法を学んでいる訳であるが、己自身のと、彼らとを比較してみても、無意味な訳なのである。
双賢の弟子は、過去ーー阿僧祇劫と10万大劫の前、Anomadasi(最上見仏)仏陀の時代に10万年修行しているし、その他の仏陀の時代にもまた、修行を積んでいるのである。
故に、彼らの波羅蜜のレベルは、我々は、比べる事ができないのである。
あなた方は、仏法に対して、皆、非常に縁がある。学習の福徳の果報もある。
今、あなた方の国(+アメリカ)は、外道を信仰している者が多い。
その上に、生活の為には(+仕事に)精出さねばならない。
(+その様な環境の中)経済が安定した後に、禅の修行をしようとして(+ここに)やってきたのは、あなた方も、過去世において、(+経典を)読んだことがあり、修行もしたことがあるに違いない(下線部分、原文意味不明につき、意訳)。
こうしたことから、あなた方は、この一世において、仏法や禅の修行に興味を覚えるのである。
今、あなた方と私の、残された命は、もういくばくもないであろう。(+死ぬまでの間)ここが痛い、あそこが不快であると・・・色々な業力が熟すであろう(+と思われる)。
(14につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>