<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
▲『四聖諦』と「名色分別智」の関係
アメリカ菩提学会(二/上)2018年11月3日
《大念処経》では以下の様に言う:
禅の修行の目的は、煩悩から解脱する事である。
南伝の教えの中には、「解脱道」と「菩薩道」の区別はない。
というのも、菩薩は授記を受けた後の、最後の命では、やはり煩悩から解脱するからである。
パーチェカ・ブッダもまた、煩悩の解脱を目指す;
すべての正等正覚の仏陀たちは、最後には、煩悩から解脱する。
仏陀の教えについて、あなたは、選択することができる。
もし、この一世において、煩悩から解脱したいのであれば、あなたは先に持戒し、その後に、止と観を修する・・・これは戒定慧であり、これが煩悩から解脱する条件である。
もし、未来世において、生命を得たいと思うならば、あなた方が信仰している菩薩道であれば、布施、持戒、止と観の修習が、必要になる。
なぜ布施が必要か?
というのも、輪廻の中において、布施をしておけば、(+人生が)比較的安楽になる。もし、布施しないならば、比較的苦しくなる。
こういう事であるから、未来世において、煩悩から解脱したいと思っている人は、布施、持戒、止と観の修習を、しなければならない。
もし、この一世で、煩悩から解脱したいと思うならば、布施に拘って、時間を浪費することは止める。
在家の居士は、五戒、八戒、九戒、十戒を受持することができる。
出家の戒、沙弥は119条で、比丘戒は、227条と900億条以上の戒がある。
以上は、戒律について述べたが、次に、定と慧の修行について、述べる。
あなたがこの一世で解脱したいか、または未来世において解脱したいかに関わらず、みな、持戒、止と観の修習をしなければならない;
未来において解脱したいと思う者は、その上に、布施を加えるだけでよい。
二者に、大きな差はないのである。
止と観の修習は、戒定慧の修習でもある。
我々は、解脱したいのであれば、仏陀の教えから離れることはできない。
(21につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>