<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
多くの経典にすでに述べられているが、《大念処経》では、仏陀が以下の様に開示している。
同様な開示は、《転法輪経》にもある。
《転法輪経》は、釈迦牟尼仏陀が、一切智智を悟った時の最初の開示である;
一切智智を悟った一尊一尊の仏陀の、最初の開示は皆、《転法輪経》である;
未来の弥勒菩薩もまた、然りである。
この二つの経の中において、仏陀は何を開示しているのか?
「苦聖諦」には二種類ある:
概念的苦聖諦と、究極的苦聖諦である。
概念的苦聖諦を知らない者は、悚懼感(=身の毛がよだつ様な懼れ)が生まれない。
悚懼感と恐怖は異なる感覚である。
恐怖とは恐れることであり、蟻が恐い、鼠が恐い、ゴキブリが恐いなどをいい、ただ、一般的な恐れを、上品に、怖れる、懼れると言っているに過ぎない。
悚懼は、二度と輪廻の苦しみに巻き込まれたくない、と思う恐怖であり、生、老、病、死は苦しいという、概念的な説明である。
(23につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>