<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《転法輪経》の中で、仏陀は五比丘に訊ねる。
苦聖諦とは何か?
仏陀は、説法が上手である。
先に質問し、その後で説明する。
仏陀は開示する:
生まれるのは、苦である。
結生した後から即刻、苦しみが始まる。
というのも、結生の後、母親の、狭い母胎の中にいるのは、非常に苦しいが故に。
母親が貪欲に食事して、辛いものを食べれば、胎児は、火傷した様になる;
母親が、飛んだり跳ねたりすれば、胎児は、母胎の中で死亡する。
結生の苦というのは、非常に苦しいものである。
「縁起法」を修することが出来る様になった禅修行者は、必ず、過去世を調べなければならない。
《無碍解道》の中で、仏陀は「十観智」、「16観智」について述べている。
16観智の一番目の観智とは、「名色分別智」で、二番目は「縁摂受智」である。
名色分別智は、色法と名法の区別を知る智慧である。
先に、vipassana の意味について解説する:
それは特別に知っている、特別に見ることができた・・・という意味である。
vipassana の所縁は、概念法ではない。
それは五蘊法を所縁とした、究極法である。
我々の知っている男性、女性;あなた、私、彼;人界、天界、動物、これらはみな、概念法である。
通常、我々が道路を歩く、仕事をする、物を取る、袈裟を洗うなど、これらはみな、概念法である。
安般念の呼吸は、概念法である;
32身分の毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、筋肉、骨髄、腎もまた概念法である;
白骨観の白骨;不浄観の死体、みな、概念法である。
観禅・・・これは必ずや、究極法を所縁としなければ、vipassana とは、ならないのである。
煩悩から解脱するには、我々は必ずや悚懼心を持たねばならない。
そのことから、仏陀は「結生」の痛苦、「老い」の痛苦を開示したのである。
(24につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>