Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-23

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《転法輪経》の中で、仏陀は五比丘に訊ねる。

苦聖諦とは何か?

仏陀は、説法が上手である。

先に質問し、その後で説明する。

仏陀は開示する:

生まれるのは、苦である。

結生した後から即刻、苦しみが始まる。

というのも、結生の後、母親の、狭い母胎の中にいるのは、非常に苦しいが故に。

母親が貪欲に食事して、辛いものを食べれば、胎児は、火傷した様になる;

母親が、飛んだり跳ねたりすれば、胎児は、母胎の中で死亡する。

結生の苦というのは、非常に苦しいものである。

「縁起法」を修することが出来る様になった禅修行者は、必ず、過去世を調べなければならない。

《無碍解道》の中で、仏陀は「十観智」、「16観智」について述べている。

16観智の一番目の観智とは、「名色分別智」で、二番目は「縁摂受智」である。

名色分別智は、色法と名法の区別を知る智慧である。

先に、vipassana の意味について解説する:

それは特別に知っている、特別に見ることができた・・・という意味である。

vipassana の所縁は、概念法ではない。

それは五蘊法を所縁とした、究極法である。

我々の知っている男性、女性;あなた、私、彼;人界、天界、動物、これらはみな、概念法である。

通常、我々が道路を歩く、仕事をする、物を取る、袈裟を洗うなど、これらはみな、概念法である。

安般念の呼吸は、概念法である;

32身分の毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、筋肉、骨髄、腎もまた概念法である;

白骨観の白骨;不浄観の死体、みな、概念法である。

観禅・・・これは必ずや、究極法を所縁としなければ、vipassana とは、ならないのである。

煩悩から解脱するには、我々は必ずや悚懼心を持たねばならない。

そのことから、仏陀は「結生」の痛苦、「老い」の痛苦を開示したのである。

(24につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>