<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
師父は老いるし、あなた方も老いる。
老いる事は苦であるか、苦でないか?
老いは、勿論、苦である。
ここが痛い、あそこが痛い。
身体が老いると、何か、良いことがあるだろうか?
ゴミ箱は、まだゴミを放り込む事ができるが、老人は、何の役にも立たない。
他人の扶養に頼り、面倒を見てもらうしかない。
故に「老い」は苦である。
「病」の苦は、説明する必要がない。
「死」の苦もまた、非常に問題である。
一人ひとりの死に方は異なる。
ある種の人々は、死ぬ時、目を瞑る事がない。
口を開いて、身体は歪む;
ある種の人々は、微笑ながら死ぬ。
ある種の人々は、嘆きながら死に、ある種の人々は、静かに死ぬ。
ある種の人々の、死ぬ前の表情は、「臨終速行行業」で、それもまた、なかなかに、大変である。
いわゆる「臨終速行行業」は、臨終の前に、この一世または過去世、過去のまた過去の「五所縁」による業力が、熟したものである。
最も有力な業力が熟して、「臨終速行」において出現する時、それがあなたを、未来世に連れて行く。
これを「苦聖諦」、「苦集聖諦」と言う。
(25につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>