Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-32

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

▲【色法の修法】

師父は、マレーシアで、リトリートを指導した時、ある一人の女性禅修行者を、指導した。

その人は、すでに十遍八定の修習を済ませたので、四大の修習をした所、身体は色聚に変化し、「色法」の段階へと、進んだ。

私は、彼女に以下の様に、教えた。

眼門の瞳孔の場所に、「四大に注意を払って」一粒の「透明色聚」を見つけて、「第一法」から「第10法」まで、修してみる。

「前にある色聚の色彩」が、「第10法眼浄色」を打ちに来ているか?

その様で有るならば、この一粒は「眼10法聚」である。

朝にインタビューに来て、その後、練習した。

午後、またインタビューに来て、この様に言った:

「私、出来ました。『色彩』が発光したが、この色彩が、(+瞳孔を)打ちに来たのかどうかは確定できない。それが眼浄色であるかどうか(+はよく分からない)。」

というのも、一粒、一粒の色聚は、みな色彩を持っているために、彼女は、自分が見たものが、実は、元々の色聚が持つ色彩が、発光しただけではないのか?

という疑惑を持ったのである。

私は以下の様に答えた:

四大を修習すると、全身は色聚に変化するが、眼門の瞳孔の中を見ると、眼門10法聚、身10法聚、性根10法聚、命根9法聚、心生8法聚、食素8法聚、時節8法聚が、みな、混ざって瞳孔の中にある(+のが分かる)。

故に、「四大眼門に注意を向ける」時、眼門の中に非常に多くの透明と、不透明の色聚を見ることになり、それらは、止まる事を知らずに動いている。

実際、これらの色聚は動いているのではなくて、色聚が不断に生・滅しているので、初心者は、色聚が動いている、と誤解してしまうのである。

実際は、色聚は、あなたがいまだ進入していない前(=確認する前の意)、それはすでに滅し去っている。

それは非常な速さで滅しており、そのため、(+それを知るためには)指導者について、しっかり学習・修行しなければならない。

(33につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>