<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
▲【禅修行の成功】
一人の婆羅門が、仏陀に訊ねた:
仏陀ご在世の時代、仏法があり、聖弟子もいる。
私の禅修行は、どれほどの時間を掛ければ、成功するか?
仏陀は反問した:
あなたは、何の仕事をしていますか?
・・・私は、弓の教師です。
ある学生が、あなたについて、学ぼうとしています。しかし、彼はあなたに言う:
第一、私は、あなたを信じない。
第二、私は、あなたの教えを信じない。
第三、私は、よく病気をします。
第四、私は、怠け者です。
第五、私は、よく他人を騙します。
この様な学生を、あなたが指導する時、あなたは、どれくらいの時間を掛ければ、成功しますか?
・・・仏陀が言う所の五種類の学生、もし、その中の一種類でもあったならば、私には、彼を教えることなどできない。
同時に五つも欠点があるなんて!
引き続き、仏陀は言う:
もし、ある人間が、教師に対して、修法に対して、非常に信心(=確信)があって、健康で、非常にまじめで、心は単純で、他人を騙すことなどないならば、朝に学んで、午後には、煩悩を解脱する事ができる;
もし、そうでないならば、七日後には、煩悩を解脱する事ができる;
そうでないならば、7か月後に、煩悩を解脱する事ができる;
もっとも遅くて、7年あれば、必ずや煩悩を解脱する事ができる。
故に、あなた方は、焦ってはならない。
あなた方は教師に対して、修法に対して、信心(=確信)がなくては、ならない。
身体の健康を保ち、心は単純で、密集して業処に意識を保つよう、努力する。
この様にすれば、(+修行は)非常に速くに成功する。
あれら、思い悩む事を非常に好む人々の心は、静かにすることができない。
あるときには、呼吸を知るが、しかし、すぐにあれやこれやと、考え込む。
この様に人には、安般念がよい。
何等の目標もいらず、ただ軽々と、自然の呼吸に意識を保てばよいのであるから。
故に、仏陀は《大念処経》の中において、最初に「安般念」を説明したのである。
☆《慈心經》の中において、仏陀は以下の様に、開示する。
1、雑事少なく。禅の修行をしようとする者は、雑事は少ない方がよい。
2、護持しやすい。
3、指導を受け入れる。
4、驕慢でない事。
5、家族や友人に執着しない。
6、煩悩から解脱したい、という信念がある事。
・・・これらを具備して後、禅の修行を開始する事。
何の準備もないのに、ぼんやりしたまま、禅の修行に来る者は、座禅・瞑想の時に考え事をするし、家族の事を想い、家に帰りたがる;
慢心の重い者は、教えを虚心に受け取ろうとしないし、いつも他人と比較ばかりする。
この様な人間の心は、静まることがない。
(53につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>