南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-53(66/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

▲【定力の育成】

座禅・瞑想するとき、みな方法は同じである。あなたが、頑張って座っても、他の人より早く進歩するとは限らない。

定力を育成するには、先に正精進を育成しなければならない。

正精進とは、「四正勤」の事である。

(一)いまだ生起していない煩悩は、生起させない。

(二)生起した煩悩は、即刻滅する。

(三)いまだ生起していない善法は、生起せしめる。

(四)すでに表現した善法は、持続し、また拡散する。

例えば、座禅・瞑想または日常生活の中において、妄想が生じたならば、この妄想はまさに、煩悩心である。

通常、師父は皆に、濃密に業処に集中する様、要求するが、これは、煩悩が出て来ない様にする方法である。

妄想が生起した事を発見すると、即刻、呼吸に戻ってきて、呼吸を知る様にする。

これが、煩悩が生起しても、即刻、消し去ってしまう方法である。

・・・これが正精進である。

正精進とは、じっとそこに座っているのを言うのではない;

ぼーと、そこに一日中座っていて、その後で、腰が痛い、足が痛いと妄想を起すならば、それは意義のないことである。

正精進とは、正念力を主にしている。

正念とは、四念処であり、《大念処経》に基づけば、「安般念」が、まさに『身念処』の方法の一である。

故に、安般念を学習している禅修行者は、心は単純で、焦ることなく、力みすぎない様にするのがよい。

安般念に成功する禅修行者は、四正勤を保ち、煩悩が生起しない様にする。その方法は、行住坐臥において、呼吸を知る事を、濃密に保つことである。

煩悩が生起した時、それを考えない様にすればよい。

また、己自身を責めるのは、もっとよくない。

己自身を「なぜこれほど馬鹿なのか」と責めても、妄想は止まらない。己自身の努力不足を責め、波羅蜜のない事を責めれば、正念は途切れてしまう。

・・・この種のネガティブな思惟は、間違いである。煩悩が不断に生起しやすい人は、如理作意するべきである;

私が心配している、これらの事柄は、明日、考えよう。今は座禅・瞑想する時であり、私は、それらを心配する心を、ひとまず横においておこう、と。

(54につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>