<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
▲【定力の育成】
座禅・瞑想するとき、みな方法は同じである。あなたが、頑張って座っても、他の人より早く進歩するとは限らない。
定力を育成するには、先に正精進を育成しなければならない。
正精進とは、「四正勤」の事である。
(一)いまだ生起していない煩悩は、生起させない。
(二)生起した煩悩は、即刻滅する。
(三)いまだ生起していない善法は、生起せしめる。
(四)すでに表現した善法は、持続し、また拡散する。
例えば、座禅・瞑想または日常生活の中において、妄想が生じたならば、この妄想はまさに、煩悩心である。
通常、師父は皆に、濃密に業処に集中する様、要求するが、これは、煩悩が出て来ない様にする方法である。
妄想が生起した事を発見すると、即刻、呼吸に戻ってきて、呼吸を知る様にする。
これが、煩悩が生起しても、即刻、消し去ってしまう方法である。
・・・これが正精進である。
正精進とは、じっとそこに座っているのを言うのではない;
ぼーと、そこに一日中座っていて、その後で、腰が痛い、足が痛いと妄想を起すならば、それは意義のないことである。
正精進とは、正念力を主にしている。
正念とは、四念処であり、《大念処経》に基づけば、「安般念」が、まさに『身念処』の方法の一である。
故に、安般念を学習している禅修行者は、心は単純で、焦ることなく、力みすぎない様にするのがよい。
安般念に成功する禅修行者は、四正勤を保ち、煩悩が生起しない様にする。その方法は、行住坐臥において、呼吸を知る事を、濃密に保つことである。
煩悩が生起した時、それを考えない様にすればよい。
また、己自身を責めるのは、もっとよくない。
己自身を「なぜこれほど馬鹿なのか」と責めても、妄想は止まらない。己自身の努力不足を責め、波羅蜜のない事を責めれば、正念は途切れてしまう。
・・・この種のネガティブな思惟は、間違いである。煩悩が不断に生起しやすい人は、如理作意するべきである;
私が心配している、これらの事柄は、明日、考えよう。今は座禅・瞑想する時であり、私は、それらを心配する心を、ひとまず横においておこう、と。
(54につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>