南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-56(70/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

いわゆる『長短息』とは:

心が、呼吸を知る事を保持している時、たまたま呼吸が、ごく自然に、速くに変化した時、これをば、呼吸が短くなったと知る事、という。

たまたま呼吸が、ごく自然に、ゆっくりになった時、呼吸がゆっくりになった事を知る事、を言う。

一番目の段階と、二番目の段階は、ほぼ同じ状態であり、この段階は、一時間半を超えない(=一時間半もこの状態が続くなら、次の修習に進むの意~訳者)。

通常、安般念を一時間~一時間半ほど練習したならば、禅相は出てくる。

しかし、すべての人間が、その様である訳ではなく、200人に一人、どうしても禅相が出て来ない人がいる。

1/200である。

もし、光が出て来ないならば、禅相もまた出て来ない。禅相が出て来ないならば、何もすることがないのであって、専注力を強化しても、1時間半以上の(+妄想のない座禅・瞑想を)維持できない人は、第三番目の段階:『全息』に進む。

安般念の禅相には三種類ある:

遍作相、取相、似相である。

呼吸を知る事、もまた禅相であるが、しかし、名を「遍作相」と言う。

(+遍作相から)暫くすると、正念力が上昇したために、呼吸は非常に滑らかに、軽くなり、身体は軽く、安楽、快適になるが、この時、身体の安楽、快適な感覚を点検してはならない。

心がこれら、身体の感覚に注意を向けるという事は、すでに(+心が)安般念の目標を離れている事の証明であり、定力は非常に速くに減退する。

(57につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>