<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
いわゆる『長短息』とは:
心が、呼吸を知る事を保持している時、たまたま呼吸が、ごく自然に、速くに変化した時、これをば、呼吸が短くなったと知る事、という。
たまたま呼吸が、ごく自然に、ゆっくりになった時、呼吸がゆっくりになった事を知る事、を言う。
一番目の段階と、二番目の段階は、ほぼ同じ状態であり、この段階は、一時間半を超えない(=一時間半もこの状態が続くなら、次の修習に進むの意~訳者)。
通常、安般念を一時間~一時間半ほど練習したならば、禅相は出てくる。
しかし、すべての人間が、その様である訳ではなく、200人に一人、どうしても禅相が出て来ない人がいる。
1/200である。
もし、光が出て来ないならば、禅相もまた出て来ない。禅相が出て来ないならば、何もすることがないのであって、専注力を強化しても、1時間半以上の(+妄想のない座禅・瞑想を)維持できない人は、第三番目の段階:『全息』に進む。
安般念の禅相には三種類ある:
遍作相、取相、似相である。
呼吸を知る事、もまた禅相であるが、しかし、名を「遍作相」と言う。
(+遍作相から)暫くすると、正念力が上昇したために、呼吸は非常に滑らかに、軽くなり、身体は軽く、安楽、快適になるが、この時、身体の安楽、快適な感覚を点検してはならない。
心がこれら、身体の感覚に注意を向けるという事は、すでに(+心が)安般念の目標を離れている事の証明であり、定力は非常に速くに減退する。
(57につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>