Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-59

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

呼吸が短く、非常に微細になった時、それを長くしたり、明確にしようとしては、ならない。

呼吸が、益々微細になる時、引き続き、(+意識を)鼻と唇の間の前面において、呼吸を知る様にする。

それは、一筋の細い綿の様になるが、非常に微細なものであって、それの出入りを、気にしてはならない。

ただ、自然な呼吸を、知っていればよい。

(+修行者は)呼吸の出入りがなくなった様に感じ、また、たまに息がある様に感じ、ある時には、息が止った様に感じる;

呼吸が止まる前、必ず、輝く光りが出現する。

※安般の禅相は、必ず光を伴う。しかし、光が禅相であるとは限らない。

禅修行者は、どれが光か、どれが禅相かと、判別する必要はない。それはあなた方の指導者の課題である。

禅相は必ず、光を伴うが、しかし、禅修行者一人ひとりの禅相は、みな異なっている。

ある種の人々の禅相は、ルビーの様であり、ある種の人々の禅相は、エメラルドの様であり、ある種の人々の禅相は、太陽の様であり、ある種の人々の禅相は、月または星の様であり、ある種の人々の禅相は象牙の様であり、また黒い雲の様である。

一人ひとりの禅相は異なっており、故にお互いに比較する必要なない。

他人と異なっている以外に、あなたがかつて修行した時と、今再び修行を再開した時とでは、その禅相は、異なるものである。

この様に、一人ひとりの禅相は異なっており、己自身の座席の前後に出現する禅相もまた、変化する。

また、安般の初心者は、呼吸と禅相が結合し始めた時、その形状を確かめるのが難しく、ただ一面の光しか見えない。こうした事から、禅相の形状を見つけ様としてはならない。

(60につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>