<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
呼吸が短く、非常に微細になった時、それを長くしたり、明確にしようとしては、ならない。
呼吸が、益々微細になる時、引き続き、(+意識を)鼻と唇の間の前面において、呼吸を知る様にする。
それは、一筋の細い綿の様になるが、非常に微細なものであって、それの出入りを、気にしてはならない。
ただ、自然な呼吸を、知っていればよい。
(+修行者は)呼吸の出入りがなくなった様に感じ、また、たまに息がある様に感じ、ある時には、息が止った様に感じる;
呼吸が止まる前、必ず、輝く光りが出現する。
※安般の禅相は、必ず光を伴う。しかし、光が禅相であるとは限らない。
禅修行者は、どれが光か、どれが禅相かと、判別する必要はない。それはあなた方の指導者の課題である。
禅相は必ず、光を伴うが、しかし、禅修行者一人ひとりの禅相は、みな異なっている。
ある種の人々の禅相は、ルビーの様であり、ある種の人々の禅相は、エメラルドの様であり、ある種の人々の禅相は、太陽の様であり、ある種の人々の禅相は、月または星の様であり、ある種の人々の禅相は象牙の様であり、また黒い雲の様である。
一人ひとりの禅相は異なっており、故にお互いに比較する必要なない。
他人と異なっている以外に、あなたがかつて修行した時と、今再び修行を再開した時とでは、その禅相は、異なるものである。
この様に、一人ひとりの禅相は異なっており、己自身の座席の前後に出現する禅相もまた、変化する。
また、安般の初心者は、呼吸と禅相が結合し始めた時、その形状を確かめるのが難しく、ただ一面の光しか見えない。こうした事から、禅相の形状を見つけ様としてはならない。
(60につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>