<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ある種の人々は懐疑する:
骨の厭わしさを観察の対象にして、なぜ、喜と楽が生じるのか?と。
答え:
この種の修行をする時、骨自体は、確実に嫌悪されるべきものであるが、しかし、あなたは、事前に、この法門の利益を理解していて、あえて修行に来ている訳であって、また、同時に、最後には、あなたは、老、病、死の苦から解脱できる事も知っている。
故に、喜と楽が生じるのである。
また、喜と楽は、熱く悩ませることによって、心を疲労させる所の、五蓋が取り除かれた事によっても、生起する。
例えば、ゴミ拾いを生業にしている人が、ゴミの山を見た時、以下の様に思う:
「これらを利用して、私は大金を儲けよう」
こうして、彼は非常に歓喜する。
また、身体が重病である人が、嘔吐や排便で不快感が癒された時、悦楽と安楽の感覚が生じる様なものである。
(3-47につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<本雅難陀尊者著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay