<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《アビダンマ》の註釈では、以下の様に説明される:
骨の厭わしさに専注して、初禅に到達した人は、引き続き、初禅の五自在を、修行しなければならない。
その後に、彼の、もっとも近くにある衆生(もっともよいのは、自分の前に座っている人)を観察して、禅定の光でもって、その人の骨格を(+瞑想の)対象とする。
彼は、骨格を厭わしいものとして専注して、この不浄想の五禅支が明確になるまで(+専注力を)育成しなければならない。
註釈によると、五禅支が非常に明確になっても、この定力を近行定または安止定と呼ぶことはできない。というのも、対象が生きているからである。
《アビダンマ》の再註釈《根本複註》(Mūlaṭīkā)によると、外部のある骨格が死者のものであって、それを専注する場合には、あなたは、近行定に到達する事ができる。
(3-48につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<本雅難陀尊者著『禅修指南』Meditation Guide 第二版
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>