本日、『禅修指南』の、第二章の翻訳が、終わりました。
この第二章の、最後の文章は、非想非非想処禅の修行方法の紹介でした。
子供の頃読んだ仏教書に、「仏教に非想非非想処という、高度な境地のものがあるが、しかしこれはフィクションであり、こんなものに、実際に到達する人間がいるとは思えない」という僧侶のコメントがついていて、子供心に
「言葉だけあって、実践できない修行法って、どういう事なの?」
「もしかしてこれは、現代人が忘れてしまった修行法であって、インドの古老なら、知っているかも?」
「仏教を学ぶには、インドに行くしかない?」
な~んて思ったものでした(実際は、現代インドでは、ヒンズー教が隆盛し、アビダンマ仏教なら緬甸、タイの方がよく学べる)。
神通、縁起、nimitta 等もそうですが、自分が出来ればなんともない、当たり前の体験ですが、できない時は、出来る人が不思議に思え、また神秘的にも思え、嫉妬さえします(笑)。
仏法の修行は、出来てしまえば、神秘でもなんでもなく、先を行く修行者~~例えば、白遍の修習をしている人は、何を見ても白色に見える・・・らしい~~に嫉妬していた
自分を笑っちゃう・・・な~んて事に、早くなりたい!(笑)。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>