Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』4‐29

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

死随念(maraṇānussati)

パーリ聖典の《大念処経Mahāsatipaṭṭhāna Sutta》と

《清浄道論Visuddhimagga》によると、死随念は、あなたが曾て、見たことのある死体を用いて、修行する事が出来る、という。

故に、あなたは、死体の不浄観によって、再度初禅に入り、その後に、以下の様に思惟する:

「私の身体もまた必ず死ぬ。

将来において、死んだならば、この死体と同じ様になるのであり、この様な経過は、避ける事が出来ないものである。」

心をして、(+人は)必ず死ぬという、己自身の本質に専注せしめれば、あなたは心内に悚懼感(注15)(saṁvega)が生起するのを、発見するであろう。

この悚懼感によって、あなたは、己自身の身体が、嫌悪すべき死体になっている事に気が付く。その後、己自身の死体の、そのイメージの中の命根が、すでに断絶しているのを知ったならば、あなたは、当該の命根の断絶に専注して、以下の語句の中の一種類を選択して、憶念する:

1、私は必ず死ぬ、人命は無常なるものである

(maraṇaṁ me dhuvaṁ、jīvitaṁ me adhuvaṁ);

2、私は必ず死ぬ

(maraṇaṁ me bhavisssati);

3、私の生命は死亡の時に断絶する

(maraṇapariyosānaṁ me jīvitaṁ);

4、死、死(maraṇaṁ maraṇaṁ)。

あなたは、上の、どれか一種類の言語(=項目)でもって、それを憶念する。

己自身の死体の中の命根が、存在しないイメージに対して、静かに専注できる様になるまで修行し、それを一時間または二時間維持する様にする。

この時、あなたは五禅支が生起しているのを発見するであろう。但し、この法門は、近行定にしか到達する事ができない。

注15:悚懼感(saṁvega):怖れと警戒の心。世間の不幸によって、引き起こされた、宗教的感情。悚懼感を起すには、以下の様な、8種類の対象がある:生老病死、悪道に堕ちて苦しむ事、及び、過去・現在・未来における輪廻が齎す苦痛。

(4‐30につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>