南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『禅修指南』8-1(97/520)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第七章:名業処

Nāma Kammaṭṭhāna 

《純観行者の注意点》

純観行者は、必ず、先に、色法を徹底的に識別し、その後において、初めて、名法を識別するべきである。

これは、五蘊有情(pañca vokāra sattā)の名法は、必ずや、目、耳、鼻、舌、身体及び心所依処という、この六依処色(vatthu rūpa)の内の一つに依存しなければ、相続流(santāna)の内において、生起する事が出来ないからである。

六依処色とは、すなわち、眼、耳、鼻、舌、身の五浄色、及び心所依処色の事である。

禅修行者が、色法を徹底的に分別できる時、名法もまた、明晰にその智において、顕現する。

もし、未だ依処色を識別できないのであれば、彼は、名密集(注27)(nāma ghana)を看破しておらず、また、究極法を知見する智慧には、いまだ甚だ遠いものがある。

故に、徹底的に、色法を分別できて初めて、彼は、名法を識別することができる。

そうでないならば、「彼の禅修行は、退歩する」(kammaṭṭānato parihāyati)のである。

(《清浄道論》第18章)(注28)

《世間名法のみを観ずる》

名法は、二つの大きな類に分ける事ができる:

すなわち、心(citta)と心所(cetasika)である。

心はまた、世間及び出世間の、二つの大きな類に、分ける事ができる。

出世間心とはすなわち、四道及び四果であり、それらは、観智の所縁では、有り得ない。

禅修行者が識別するべきものは、世間名法であり、それはすなわち:欲界心、色界心、無色界心及び、それらと相応する心所である。

又の名を、広大心(mahaggata citta)と言う所の、色界心及び無色界心に関して、《大疏鈔》では、以下の様に言う:

’Labhino eva pana mahaggatacittāni supākatāni honti

ーー「唯一、已において、ジャーナを証得した者だけが、己自身が証得した所の、ジャーナ名法(jhāna nāma dhamma)を、識別する事ができる。」

未だジャーナを証得していない者は、欲界名法をのみ、識別する事ができる。

注27:四種類の密集に関しては、後述の項「四種類の名密集の看破」を参照の事。

注28:《清浄道論》第18章では、彼が斯くの如くに、色法を明確に識別した後に初めて、非色法(名法)が彼に対して、三個の方式でもって、明確に顕現する(+と言う)。故に、彼は、それ(色法の識別)を完成させた後に初めて、非色法の識別という任務に取り組むのがよい。反対の(+順序での)方式は、有り得ない。もし、彼が一、二種類の、明確に顕現する所の色法を識別した後、即刻、非色法の識別をするならば、「地遍の修習」の篇で述べられた母牛の様に、彼は、禅修行の業処から退歩する。

しかしながら、彼が、すでに色法を明確に識別した後にようやく、非色法を識別するのならば、彼の禅修行の業処は、増長し、向上し、円満に到達する。

(8-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>