<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《清浄道論》(第18章)は、これらのジャーナ及び、ジャーナ相応法の、相、作用、現起(現象)と近因によって、それらを識別するべきである、と言う。
その後に:
Pariggahetvā sabbampetam
ārammaṇābhimukhaṁ
namato namanaṭṭena
nāmanti vavatthapetabbaṁ.
ーー「これが出来た後に、彼はそれらをすべて、『名』として、識別しなければならない。
というのも、それは所縁に『向かう』が故に。」
《清浄道論》(第18章)は、更に進んで、如何にして修習するのかを、以下の様に言う:
Tato yathā nāma puriso
anto gehe sappaṁ disvā
taṁ anubandhamāno tassa
āsayaṁ passati、
evameva ayampi yogāvacaro
taṁ nāmaṁ upaparikkhanto.
’Idaṁ namaṁ kiṁ nissāya
pavattati'ti pariyesamāno
tassa nisayaṁ hadayarūpaṁ
passati.
Tato hadayarūpassa nissayabūtāti、
bhūtanissitāni ca sesupādāyā
rūpānīti rūpaṁ pariggaṇhāti.
So sabbampetaṁ ruppanato
rūpanti vavatthapeti.
Tato namanalakkhaṇaṁ
nāmaṁ ruppanalakkhaṇaṁ
rūpanti saṅkhepato
nāmarūpaṁ vavatthapeti.
ーー「その後、一人の、部屋の中で、蛇を見つけた人間が、蛇について行けば、蛇の住居を見つける事ができる様に、同様に、彼はそれ(名法)は、何に依存して、生起するのかを追跡して、それは、心色に依存するのだ、と知見する。
その後、彼は再度、心色が依存する所の四界と、その他の、この四界に依存して生起する所の、所造色を識別する。
彼は、これら一切を、『色』(rūpa)として識別する。というのも、それは不断に(冷たさ等の)変化の干渉(ruppana)を、受けるが為に。
その後、彼は再度、所縁の相に向かう所の、名法及び、干渉を受ける所の、相の色法を『名色』(nāma rūpa)として、識別する」
上に述べた定義によれば、すでにジャーナ名法を識別した禅修行者は、必ずや、名法と色法の二者を、識別しなければならない。
(8-29につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>