<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
次に、有情界の六処門、及び 42身分の中の、真実と非真実の色法(内観の法と同じ)を、識別する。
不断に、順序良く交互に、内観と外観を修習すれば「修習智」(bhāvanā ñāṇa)を、強化する事ができる。
その後、外部の六つのグループの名法(内観の法と同じ)を、全体的、一体的に識別する。
内観の時と同様に、如理作意または、不如理作意によって引き起こされた、善グループと不善グループの名法を、識別する。
たとえば:
眼浄色(眼門)と有分透明界(意門)を、同時に識別し、一粒のまたは一塊の、色聚の色彩を所縁として取る時、それによって生起した所の、色所縁グループ名法を、識別する。
この時、これは誰の眼浄色、有分、色所縁であるのか、という区別・判断をする必要はない。
というのも、それらは皆同じものであって、故に、それらすべてを、一体と見做すのである。
その他のグループを、識別する方法も、これと同様である。
名業処の段階において、内観と外観の修習を、順序良く繰り返す事によってのみ、禅修は、強力になることができる。
外観の時、それらを、男性、女性、有情、人類、天神などと、区別してはならない。
禅修行者は、それらを全体的、一体的に識別する。というのも、それらは皆同じものであるが故に。
32身分を外観する時、ただ一個の有情の、32身分を観察する事もできる。
同様に、色法を外観する時、ただ一個の有情の、32身分の中の、すべての色法を、識別する事もできる。
ただし、名業処の段階においては、正確に他人の心を知ることはできない。
というのも、それは「他心通」(paracittavijānana abhiññā)の範囲に属するが故に。
観禅の修習の時、有情は分別することなく、ただそれらの全体を観照する。これを、弟子の思惟行(sammasana cāra)と言う。
内部と外部の(1)色法(2)名法を識別した後、内部と外部に関しては、(3)名色法の分別(4)名色法の差別(注34)を識別する。
注34:《智慧の光》では:「名色の分別」とは、色は色であるとし、依処色に依存して生起して、かつ、所縁を識知する事の出来るのは、名であると分別する事を、言う。
「名色差別」とは、智慧でもって、それらを差別する事を言う。(+その内実は)これらの名色法は、人無く、有情無く、無我であり、ただ一組の名法と色法に過ぎないのだ、という事を知見出来るのを言う。
(8-61につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>