<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《四念処の育成に関する修行》
《殊勝義註》と《清浄道論》の中において、以下の様に言う:
Yasmā pana na
suddarūpadassanamatteneva
vuṭṭhānaṁ hoti、
arūpampi daṭṭhabbameva.
ーー「もし、色法の三相をのみ、観照する事を通して、観禅の修行をするのならば、道智を証悟する事は出来ないのであって、名法もまた、観照されなければならない。」
観禅の目標に属する所の、名色法の識別を開始する時、禅修行者は先に、名法または色法を識別する。
この二者の内、止行者(samatha yānika)と純観行者(suddha vipassanā yānika)は、二者とも、先に色法を識別してもよい、がしかし、止行者だけが、名法から先に識別する修習を、実践する事ができる。
しかし、ただ色法を観照するだけでは、道智は証得することはできない。
故に、色法から識別を開始する修行者は、名法もまた識別し、観照しなければならない。
また、名法だけを観照しても、道智を証得することはできない。故に、名法から識別を開始する修行者は、色法を識別し、観照しなければならない。
《不通解經》(Aprijānana Sutta)の中において、仏陀は以下の様に言う:
もし、人が「三遍知」でもって、すべての五蘊または名色法を知見する事ができないのであれば、彼は苦を断ずる事はできないのである、と。
註釈にも言う:
色法だけを観照するとか、または、名法だけを観照するならば、道智は証得する事はできない。
仏陀と註釈の言う所に齟齬はなく、付合しており、何等の差別もない。それはちょうど、ガンジス河の水とヤマヤ河の水が混ざった様なものである。
若し、色法の識別から始めるならば、次に、名色法の識別を修習し、その因を遡及できる様にする。その後に、これらの名色法、及び、因の三相を観照する。
これがすなわち、「身随観念処」(kāyanupassanā satipaṭṭhāna)である。
受によって、名色法を識別し、因を遡及した後、次に、名色法と因の三相を観照する。
これがすなわち、「受随観念処」(vedanānupassanā satipaṭṭhāna)である。
識によって、名色法を識別し、因を遡及した後、名色法と因の三相を観照する。
これがすなわち、「心随観念処」(cittānupassanā satipaṭṭhāna)である。
触によって、名色法を識別し、因を遡及した後、次に、名色法と因の三相を観照する。
これがすなわち、「法随観念処」(dhammānupassanā satipaṭṭhāna)である。
こうしたことから、禅修行者は、以下の事を理解しなければならない:
一、もし、人が、その中の一種類の念処を、修習するならば、それはすなわち、すべての四念処を修習しているのである。
二、五蘊を識別する事、すなわち、四念処の修習の実践そのものである。
これまで何度も説明したものであるが:
名法を識別したいと思う禅修行者は、先に、名法の依処色及び所縁としての色法を、識別しておかねばならない。
名法を識別した後、次に、再度、名法の依処色を識別し、その後に、同時に、名色法を識別する必要があるのである。
(9-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>