Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』8ー62

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《四念処の育成に関する修行》

《殊勝義註》と《清浄道論》の中において、以下の様に言う:

Yasmā pana na 

suddarūpadassanamatteneva

vuṭṭhānaṁ hoti、

arūpampi daṭṭhabbameva.

ーー「もし、色法の三相をのみ、観照する事を通して、観禅の修行をするのならば、道智を証悟する事は出来ないのであって、名法もまた、観照されなければならない。」

観禅の目標に属する所の、名色法の識別を開始する時、禅修行者は先に、名法または色法を識別する。

この二者の内、止行者(samatha yānika)と純観行者(suddha vipassanā yānika)は、二者とも、先に色法を識別してもよい、がしかし、止行者だけが、名法から先に識別する修習を、実践する事ができる。

しかし、ただ色法を観照するだけでは、道智は証得することはできない。

故に、色法から識別を開始する修行者は、名法もまた識別し、観照しなければならない。

また、名法だけを観照しても、道智を証得することはできない。故に、名法から識別を開始する修行者は、色法を識別し、観照しなければならない。

《不通解經》(Aprijānana Sutta)の中において、仏陀は以下の様に言う:

もし、人が「三遍知」でもって、すべての五蘊または名色法を知見する事ができないのであれば、彼は苦を断ずる事はできないのである、と。

註釈にも言う:

法だけを観照するとか、または、名法だけを観照するならば、道智は証得する事はできない。

仏陀と註釈の言う所に齟齬はなく、付合しており、何等の差別もない。それはちょうど、ガンジス河の水とヤマヤ河の水が混ざった様なものである。

若し、色法の識別から始めるならば、次に、名色法の識別を修習し、その因を遡及できる様にする。その後に、これらの名色法、及び、因の三相を観照する。

これがすなわち、「身随観念処」(kāyanupassanā satipaṭṭhāna)である。

受によって、名色法を識別し、因を遡及した後、次に、名色法と因の三相を観照する。

これがすなわち、「受随観念処」(vedanānupassanā satipaṭṭhāna)である。

識によって、名色法を識別し、因を遡及した後、名色法と因の三相を観照する。

これがすなわち、「心随観念処」(cittānupassanā satipaṭṭhāna)である。

触によって、名色法を識別し、因を遡及した後、次に、名色法と因の三相を観照する。

これがすなわち、「法随観念処」(dhammānupassanā satipaṭṭhāna)である。

こうしたことから、禅修行者は、以下の事を理解しなければならない:

一、もし、人が、その中の一種類の念処を、修習するならば、それはすなわち、すべての四念処を修習しているのである。

二、五蘊を識別する事、すなわち、四念処の修習の実践そのものである。

これまで何度も説明したものであるが:

名法を識別したいと思う禅修行者は、先に、名法の依処色及び所縁としての色法を、識別しておかねばならない。

名法を識別した後、次に、再度、名法の依処色を識別し、その後に、同時に、名色法を識別する必要があるのである。

(9-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>