<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《推理と自らの体験》
(anumāna & paccakkha)
’Ayaṁ lokiyo ayaṁ lokuttaro’ti
ariyaṁ aṭṭhaṅgikam
maggaṁ yathābhūtam na
pajānāti ajānanto
lokiyamagge abhinivisitvā
lokuttaraṁnibbattetuṁ na sakkāti.
(《中部註》)
もし、禅修行者が、過去は已に、存在しないのだと思い、未来もまた、未だ来ていないと思い、故に、ただ推理(anumāna)または憶測の方法でもって、過去と未来を識別、識知しなければならないのだ、というのであれば:
そして、推理の方法でもって、「現在の五果の生起は、過去の五因が原因であり、未来の五果の生起は、現在の五因が原因である」という事が明瞭になると考えるならば、聖者は、推理や憶測の方法でもって「苦諦の生起は集諦が原因である」事を、証悟することができる事になる。
しかしながら、仏陀と註釈の二者は、共に、苦諦と集諦を、明確に、明晰に、必ずや、如実に知見しなければならない、と教えている:
Idaṁ dukkhanti
yathābhūtaṁ pajānāti.
Ayaṁ dukkha
samudayoti yathābhūtaṁ
pajānāti.(《中部》)
唯一、当人が、己自ら苦諦、集諦及び苦諦の生起は、集諦が因である事を、徹底的に如実に知見して初めて、彼は道諦を育成する事ができる。
すなわち、この時、彼は初めて、苦諦と集諦の三相(無常・苦・無我)を、観照する事が出来る様になり、観禅の修行に、取り組む事が出来る。
世間道諦(lokiya maggasacca)を育成した後初めて、彼は出世間道諦(lokuttara maggasacca)及び、出世間滅諦(lokuttara nirodhasacca)を、証得することができる。
故に、注意して頂きたいのは:
過去と未来を識別し了解する事は、12因縁を、如実に知見する為には、決して欠かす事の出来ない(+修行である)事を(+忘れてはならないのである)。
(9-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>