<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《因を追尋する方法》
Paccayasamupanne hi
apariggahite paccauāpariggaho
na sakkā hoti kāuṁ。
Tasmā dhammaṭṭihiñāṇaggahaṇeva
tassa hetubhūtaṁ pubbe
siddaṁ nāmarūpavavatthānañāṇaṁ
vuttameva hatīti veditabbhaṁ.
(《無礙解道註》)
上に述べた《無礙解道註》の定義によると、智でもって、因(すなわち、縁摂受)を識別したいと思う禅修行者は、先に、名色分別智(nāmarūpavavatthāna-ñāṇa)を、証得する事に尽力しなければならない。
すなわち、その名を縁生法(paccayasamuppanna、または縁起)と呼ばれる所の、果(名色)を先に、識知し了解しなければならないのである。
その意味は、智でもって、過去の因を識別・了解したいと思う禅修行者は、先に、過去の因によって生起する所の、現在の名色(縁生法、paccayapanna dhamma)と、更に遠い過去の因によって生起した所の、過去の名色(縁生法)を識知し、了解しなければならない、という事である。
また、もし、禅修行者が「現在の五因によって、縁生法と呼ばれる所の、未来の五果が、生起する」という事を識知、了解したいのであれば、彼は、先に、智でもって、現在の五因(すなわち、無明、愛、取、行と業)が依存する所の、現在の名色(縁生法)及び、これら現在の五因によって、生起するであろう未来の五果(縁生法)を、識知、了解出来ていなければならない。
唯一、この様にして後に初めて、彼は過去の因を容易に追尋する事ができ、現在の果の生起は、過去の因を縁にしている事を識別、識知する事が出来るのである。
同様に、彼はまた、智でもって未来果の生起は、現在の因を縁にして、生起するのだというこ
事も理解しなければならない。
更に遠い過去世と未来世を追尋する方法は、またこの様に、である。
こうした事から、禅修行者は、先に注意を払わねばならないのは、「因が原因で、果が生起する」という事を、いまだ識知、識別できていないのであれば、彼は先に、過去の五蘊、現在の五蘊及び未来の五蘊というこれらの事実を、識知、了解しなければならない、という事である。
(9-14につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>