<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《煩悩輪転及び業輪転》
前に述べた、生死輪転(saṁsāravaṭṭa)を引き起こす所の、無明、愛、取、行及び業(avijjā、taṇhā、upādāna、saṅkhāra、kamma)に関して、ここにおいて、更に一歩進んで、解説する。
上に述べた、一番目の発願の例について:
1、無明:「比丘」または「女性」がいる、と誤解する(20個の名法)。
2、愛:比丘または女性の生活を、渇愛する。(20)
3、取:比丘または女性の生活に、執着する。(20)
(ここにおいて、20とは、貪見グループを指す。それはまた、19/22/21 である可能性もある。心理的な状況によって異なる)
4、行:仏陀に光、水、花などの供養をした善思グループ(kusala cetanā)(信慧グループ、34個の名法)。
5、業:34個の名法の業力(kamma satti)。
名を煩悩輪転と呼ばれる(1)無明、(2)愛及び(3)取は、多くは、意門転向と七個の速行として、出現する。
もし、色所縁を目標として取る場合、例えば、比丘の生活、または女性の生活の色所縁(rūparammaṇa)、彼所縁は生起する。
速行に出現するのは、貪見グループ(20)であり、名を業輪転と呼ばれる(4)行と(5)業は、すなわち、信慧グループの意門速行心である。
もし、喜俱及び智相応であれば、すなわち、34個の名法がある。
この善グループは、無常法であるため、その生、住、壊滅の生命期が終了すれば、それは即刻、滅し去る。
しかしながら、それらは業力(kamma satti)である為、名色流の中に留まった後に初めて、滅する。
そして、この業力は彼をして、未来世の中において、彼が願った様に、比丘になったり、女性になったりせしめる。
それらは、滅し去った後には、如何なる業力をも残す事のない果報名法(vipāka nāma、異熟名法)、または唯作名法(kiriya nāma)とは異なる。
当該の業力は、業と呼ばれる。
それは異刹那業力(nānākkhanika kamma satti)である。
二番目に発願した所の、梵天の例では:
1、無明;「梵天」が存在していると誤解する。(20)
3、取:梵天の生活に執着する(20)
4、行:梵天になりたいという発願に沿って、累積した所の、第四禅の善思(30)。
5、業:行(31)の中における業力(kamma satti)。
ここにおいて、名を煩悩輪転と言う所の、無明、愛、取は貪見グループ(20)に属する。
行はすなわち、第四禅のジャーナ名法(31)である。
それらは、意門速行心路(manodvārika javana citta)である。
もし、禅修行者が、智でもって、最も近い過去の名法(すなわち、煩悩輪転及び業輪転)を、識別する事ができた上に、それらの名密集を、究極名色法を知見できるまでに、看破する事ができるならば、彼はすでに、最も近い過去の名色法を、識別する事に成功したのだ、と言える。
(9-17につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>