南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~百聞は一見にしかず

今、毎日『禅修指南』を翻訳しているのですが、翻訳しながら、胸がドキドキします。

すごいですよね、《己自身の縁起を調べる》とは、

<無明であるが故に、結生(受胎)する>

所から始まって、母親の胎盤の中で成長する己自身の、その因果関係(受胎の前、出産後、過去世の輪廻、未来世の輪廻の予測も含む)を追尋していくのですから、まるで活劇を見ているみたいに、翻訳していても、つい、ドキドキします。

でも、これ、未だ、vipassanā ではないのですよね。

十二縁起の修行は、サマタ(止)と、vipassanā(観)の中間のレベル、と言われます。

Vipassanā になると、もう純粋に、色(身体、物質)と名(精神作用)の、無常・苦・無我(素粒子レベルでの刹那生滅/滅のみ/因果関係のみ)に絞って、識別する訳です(ラベリング瞑想/気づきの瞑想/マインドフルネス瞑想を vipassanā だと思っている人、要注意です)。

Ven. U Puññānanda 尊者が、vipassanā とは、「誰も見たことのない景色を見る事」と定義していましたけれど、12縁起でこれほどドキドキするのですから、vipassanā になったならば・・・想像できません(笑)。

翻訳だけでも、これほどドキドキ、毎日、楽しませて貰っている訳ですが・・・しかし、百聞は一見にしかず・・・ヨギたるもの、修習・修行した方が尚の事、お得の様です(なすべき翻訳が完了しましたら、来春より、修行生活に入りたいと、切に思います。)

     <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>