南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『禅修指南』10-12(270/520)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《先に知っておくべき識別方法》

縁摂受智の段階

この段階においては、諸々の因と諸々の果を:

「無明が生起するが故に、行が生起する;無明は因、行は果・・・」(+と知っておかねばならない)。

思惟智慧と初期の生滅随観智の段階

この段階においては、12縁起支の生・滅を目標として、それらの三相を観ずる。例えば、

「無明が生起するが故に、行が生起する。

無明(生と滅)ーー無常(苦、無我)。

行(生と滅)--無常(苦、無我)。」

成熟した生滅随観智の段階

この段階においては、諸々の縁起の三相を詳細に観照する:

たとえば、

1、Paccayato udauadassana(縁生を見る)=「因が生起するが故に、果が生起する」を観ずる時、「無明が生起するが故に、行が生起する;行が生起するが故に、識が生起する・・・」と観じなければならない。  2、Paccayato vayadassana(縁滅を見る)=「因が滅する(+が故に)果滅する」を観ずる時、「無明が滅するが故に、行滅する;行が滅するが故に、識が滅する・・・」と観じなければならない。

3、Khaṇato udayadassana(刹那生を見る)=刹那生起を観じている段階においては、諸々の縁起支の生をのみ目標として観ずるべきであり、「無明の生じる時、行の生じる時・・・」と観ずる。

4、Khaṇato vayadassana(刹那滅を見る)=刹那滅を観じている段階において、諸々の縁起支の滅をのみ目標として観ずるべきであり、「無明の滅する時、行の滅する時・・・」と観ずる。

5、縁生滅と刹那生滅を見ている時(paccayato udayabbaya dassana、khaṇto udayabbaya dassana)の段階においては、

「無明が生起するが故に、行が生起する;

無明が滅するが故に、行が滅する;

無明(の生と滅)は無常である;

行(の生と滅)は無常である・・・」(注40)

壊滅随観智の段階

更に高度な観智の段階において、たとえば、壊滅随観智であるが、諸々の縁起支の滅をのみ目標に取る為、「取転起」(upādinnakapavatta)と呼ばれている所の、「因が生起するが故に、果が生起する」に注意を向けてはならず、その後に、諸々の縁起支の滅の三相を、順序よく観ずる。

たとえば、

「無明(滅、滅)--無常(苦、無我);

行(滅、滅)--無常(苦、無我)・・・」

観智において、諸々の縁起支が迅速に滅している時にのみ、それらを、以下の様に観ずる:

「無明(滅、滅)--無常(苦、無我);

観照している所の観智(滅、滅)--無常(苦、無我);

行(滅、滅)--無常(苦、無我);

観照している所の観智(滅、滅)--無常(苦、無我)・・・」

識別している時、已に生じている、正に生じつつある、(+これから)将に生じようとしている所の、諸々の因果心路過程心を観じなければならないし、また、智でもって、密集が看破できるまで、観照している所の観智もまた識別しなければならない。

注40:《智慧の光》では、上に述べた「生の時」と「滅の時」は、一つひとつの刹那の中の、生、住と滅の三時における生と滅であるとする。

(10-13につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>