南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『禅修指南』10-21(310/520)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《愛の縁によりて取》(Taṇhāpaccayā upādānaṁ)

(愛が生起するが故に、取が生起する)

四種類の取がある、すなわち、欲取、見取、戒禁取と我論取である。

1、欲取(kāmapādana):五欲の目標を渇愛するのを欲愛と言う。

前生欲愛が、親依止縁力の支持を得るという状況の下、後生欲愛は、強くて強固なものに変化する。この強く強固な欲愛は欲取となる。

2、見取(diṭṭhipādana):業力と果報を、心の深い所から排斥する事に執着する邪見。たとえば、無見、無因見、無作為見(natthika diṭṭhi、ahetuka diṭṭhi、akiriya diṭṭhi)(戒見取と我論取は除く)、これはすなわち、見取である。

3、戒禁取(sīlabbatupādāna):犬の真似をして学び、牛の真似をして学ぶ修行は、煩悩を清め断じ除いて、生死輪廻から解脱できるという邪見を、心の深い所から執着するのは、戒禁取である。

4、我論取(attavādupādāna):心の深い所から、我見に執着するのは我論見である。

この邪見は、世界を創造した至上我と、創造された霊魂我がいるという認識を持ち、すべての五蘊またはどれか一蘊であっても、それは私であると思う。これはまた身見(sakkāya diṭṭhi)と我見(atta diṭṭhi)とも言う。

この段階において、禅修行者は智でもって以下の事を知見しなければならない:

来世を獲得しようとして造(ナ)した所の相、取は生起する。

たとえば、煩悩輪転と業輪転を累積した時に、彼が仏法を教えることの出来る天神になりたいと発願したとする。智でもって「欲愛は基因(教法天人の生活を渇愛する)であり、欲取(教法天人の生活に執着する)もまた、それを因として生起する。」と知見した後、以下の様に識別する:

1、愛欲が生起するが故に、欲取が生起する;

欲愛は因、欲取は果。

もう一つ別の識別方法:教法天人が真実存在していると思うのは身見。

場合によっては、これは「世間通称我見」(loka samaññā atta)と言う。

もし、教法天人の生活を渇愛する有愛と(教法天人という存在を認める)身見または我見が相応するならば、智でもって、「愛があるが故に、我論取または見取が生起する」と知見した後、以下の様に識別する:

2、有愛が生起するが故に、我論取が生起する;

有愛は因、我論取は果。

または:有愛が生起するが故に、見取が生起する;

有愛は因、見取は果。

もう一つ別の識別方法

1、極度に、教法天人になった時に獲得する事のできる色所縁を喜ぶ色愛は欲愛。

2、「色所縁は常、永恒である。」の常見と同時に生起する所の色愛は有愛。

3、「死亡の時、色所縁もまた壊滅し、終結する、」の断見と同時に生起する所の色愛は無有愛。

この様に、色愛は三種類ある、すなわち、欲愛、有愛、無有愛である。

同様に、声愛等の、一つひとつに三種類ある。

識別:

1、色(欲)愛が生起するが故に、欲取が生起する;

色(欲)愛は因、欲取は果。

2、色(有)愛が生起するが故に、見取が生起する;

色(有)愛は因、見取は果。

3、色(無有)愛が生起するが故に、見取(断見)が生起する;

色(無有)愛は因、見取は果。

もう一つ別の方法:

常論(sassata vāda)と相応する所の有愛と、断論(uccheda vāda)と相応する所の無有愛の二者は共に、我論(atta vāda、たとえば、色所縁を我として執着する)を基本にしているが故に、以下の様に識別する事ができる:

1、色(有)愛が生起するが故に、我論取が生起する;

色(有)愛は因、我論取は果。

2、色(無有)愛が生起するが故に、我論取が生起する;

色(無有)愛は因、我論取は果。

同様の方法を用いて、声愛から法愛までを識別する。

たとえば、禅修行者が波羅蜜を累積する時、来世において、弘法する事のできる比丘になりたいと発願したならば、その場合も、上に述べた方法でそれを識別する。仏教徒にとっては、戒禁取の生起は非常に少ない。

表9-2:愛と取の意門心路過程(略)

ある時には、喜不相応の速行と彼所縁が生起する。来世の為に造(ナ)した煩悩輪転を正確に識別すること。

注意:すでに名色分別智と縁摂受智を証得した禅修行者は、見取、戒禁取と我論取は非常に生起しにくく、多くの場合、欲取のみが生起する。

故に、「愛が原因で欲取生起する。」を識別すれば充分に足りる。

しかしながら、無始より輪廻して以来、どの様な煩悩も、取も、有情の名色相続流の中において、生起した事がない、という事はない。

故に、「過去因が生起するが故に、過去果が生起する。」を識別する時、禅修行者は必ずや、あれら過去世の中において、愛を原因にして生起した所の、各種の邪見と取を識別しなければならない。

(10-22につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>y