<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《有の縁によりて生》(Bhavapaccayā jātai)
(有が生起するが故に、生が生起する)
Bhavoti panettha kammabhavova adhippeto、
so hi jātiyā paccayāo na upapatti bhavo
(《清浄道論》第17章)。
「有の縁によりて生」に関して、有とは、生(jāti)を引き起こす事の出来る、業有を言う。
その業有は、生の真正なる原因である。
生起(upapatti)は、生(jāti)の真正なる原因ではない。
Upapattibhavupapattiyeva jātīti āha 'na upapatti bhavo’.
(《大疏鈔》)。
生有の生起は、生であるが故に、註釈では以下の様に言う:
「生起(upapatti)は、生の真正なる原因ではない。」
こうしたことから、生有と呼ばれる所の未来の五蘊が、生起し始める時が、生(jāti)である。
これは、結生五蘊の生起を、言うのである。
たとえば、もし、禅修行者が、白遍四禅からの業有を識別する時、彼は、未来梵天生有を獲得する事ができる。
梵天生有五蘊の中におて、鼻浄色、舌浄色、身浄色と性根色がないが故に、彼は智でもって、鼻十法聚、舌十法聚、身十法聚と性根十法聚の不存在を識別する事ができる。
これらを子細に識別する事。
1、業有が生起するが故に、生が生起する;
業有は因、生は果。
《生の縁によりて老死》(Jātipaccayā jarāmaraṇaṁ)
(生が生起するが故に、老死が生起する)
識別する:
1、生が生起するが故に、老死が生起する;
生は因、老死は果。
これには二種類の識別方法がある。すなわち、俗諦法(samuti sacca)または究極諦法(paramattha sacca、真諦)である。
俗諦法は、「生において、一生のうちに一度だけ結生が出現する。老と死もまた、この様に発生する」。
これは未来世及び、老と死の識別によって知る事ができる。
究極諦法は:
1、(未来)の一期の生命の中において、将に生起しつつある色法。
2a、(未来)の一期の生命の中において、処門に基づいて生起する所の名法。
2b、(未来)の一期の生命の中において生起する結生、有分と死亡名法(離心路過程)。
(一)それら(1、2a、2b)の生時(uppāda)は生;
(二)それら(1、2a、2b)の住時(ṭhiti)は老;
(三)それら(1、2a、2b)の滅時(bhaṅga)は死。
智でもって、未来の一世の中の名色法の生、住、滅を知見した後、以下のものを識別する。
1、生が生起するが故に、老死が生起する;
生は因、老死は果。
愁、悲、苦、憂、悩
愁、悲、苦、憂及び悩は、生ある人の中において生起する。
しかしながら、それらは必ず生ある人に生起するとは限らない法である。
已に、完全に煩悩を断じ除いた聖者にとって、彼らの名色流の中に生(jāti)があるものの、しかし、愁、悲等は生起しない(状況に応じて、ただ身苦だけは、生起する可能性はある)。
故に、愁、悲等は、生の定果(nukhaya)であるとは言えない。
それらが、未来において生起するであろう人ならば、愁、悲等の生起を識別する事ができる。
識別:
1、生が生起するが故に、愁が生起する;
生が因、愁が果。
2、生が生起するが故に、悩が生起する;
生が因、悩は果。
(悲、苦と憂もまた同じ方法で識別する事を理解すること。)
表9-4:愁、悲、憂、悩心路過程(略)
愁、悲、憂、悩は、瞋速行グループに属する。
ここにおいて列挙するのは、意門心路過程を例にしたものである。
五門心路過程もまた、状況に応じて生起する。
しかし、強烈な愁、悲等は、意門の中においてのみ生起することができる。彼所縁は生起することもあれば、生起しない事もある。
もし、彼所縁が瞋速行の後に生起するとするならば、ただ、捨俱彼所縁のみが生起することができる。もし、来世は梵天であれば、愁等は生起しえない。その界自体は無瞋である。
ここにおいて説明した縁起第一法は、今世を(縁起輪転の)中間に、おいたものである。
この方法に基づけば、禅修行者は、一個の過去世を真中において、更に遠い過去世を、識別する事ができる。
未来世を真中におけば、更に遠い、未来世を識別する事ができる。
(11-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>