<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第二禅から出て来て後、あなたが正念と正知でもって、禅支を観察する時、伺のみが粗雑で、喜、楽及び一境性は寂静の様に感じる。粗雑な禅支を除き、寂静なる禅支を獲得するために、あなたは再び、不断に安般似相に専注する。
もし、あなたが持続的にこの様にできるならば、第三禅は上に述べた様に生起することができる。
それが捨離する禅支は伺のみである。四分法の第二禅と同じ様で、喜を初めとする三支が、それの具備支である。
前に述べた方法を用いて、引き続きジャーナの修行をしなければならない。
こうしたことから、四分法の中の第二禅は、二つに分ける事ができ、五分法の第二禅と第三禅になる事がわかる。四分法の中の第三禅と第四禅は、五分法では、第四禅と第五禅になるのである。
この二者において、初禅は共に初禅である。
私は多くの禅修行者に聞いてみたことがある。彼らに、四分法の中の各種のジャーナの優劣を語って貰った所、多くの禅修行者は以下の様に言う:第二禅は初禅より更に殊勝であり、第三禅は第二禅より更に殊勝であり、第四禅は、この四種類の中では最も殊勝である。
これらのジャーナに入る事が出来るのは、心力の所以である。
一人一人は、みなこの様な心力を擁している。
皆は、仏陀の教法の中において精進するべきである。
’Viriyayavato kināma kammam na sijjhati’
ーー「充分に強い決意と智慧でもって精進する事の出来る人は、何事も達成できないものはない。」
もし、皆がこの様に精進して修行するならば、何事も成就することができるのであり、皆、願に応じて四禅すべてを、証得することができるのである。
(5-133につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>