<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
あなたはこれらの一切の色法を識別しなければならない。色法をただ無常・苦・無我として観照するだけでは、涅槃を証悟するには足りない。名色を無常・苦・無我としても観照しなければならない。名法を観照する時、ジャーナ名法は最も良い観照の起点となりうる。というのも、あなたはすでに五禅支の観察に熟練しているが故に。
ジャーナ名法の観照の後、あなたは欲界の名法、六門心路過程心と離心路過程心を含むすべての名法を観照しなければならない。
こうしたことから、註釈では以下の様に言う:
次に、彼は、触等の五項の名法、すなわち、触、受、想、思、識を観照する。
この五項の名法の中において、受とは受蘊であり、想は想蘊であり、触所の思は行蘊であり、識は識蘊であり、それらは四種類の名蘊である;
前に述べた 28種類の色法は色蘊である;合計で五蘊となる。
この五蘊の中の行蘊に関しては、註釈は、触と思の二種類の名法について言及している。というのも、それらは行蘊の中において、最も顕著であるが故に。
この二項の名法に言及する時、行蘊の中のその他の名法もまた包含される。
これはちょうど国王の出巡の行列に関して、国王が話題になるとき、彼の従者もまたその内に含まれるのと同じである。
名法と色法を観照したのち、彼は名色法の因を観照し、過去世に造(ナ)した所の無明、愛、取、行及び業の五項の主因を見ることになる。
過去世のこの五種類の因は、今世に生まれ出る時の五取蘊を造る。
彼は因と果の間の関係を観照するが、これが縁起法である。
彼はし、以下の様に結論する:
名法と色法はみな、縁法と縁生法に過ぎない、これ以外に、人または衆生というものはない。
こうして、彼は名色法及びその因に関する疑惑を超越する。
すでに疑惑を超越した禅修行者は、名色法及びその因を、無常・苦・無我として観照する。この様にすれば、徐々に智慧を向上させる事ができ、阿羅漢果を証悟する事に到る。
この種の修行者を呼吸行者と呼ぶ。
(5-140につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>