Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」6-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

9.1《増上心經》

ここにおいて、この經は「増上心」と関係がある事を理解しなければならないが、それは、止禅心と観禅心の事である:

「比丘たちよ。増上心を務め修習する比丘は、常に三相を作意するべきである。

(一)常に定相を作意する事。

(二)常に精勤相を作意する事。

(三)常に捨相を作意する事。

もし、増上心に務め修習する比丘に、ただ定相の作意のみがあるならば、その心は怠惰になる可能性がある。

もし、増上心に務め修習する比丘に、ただ精勤相の作意のみがあるならば、その心は、浮ついたものになる可能性がある。

もし、増上心に務め修習する比丘に、ただ捨相の作意のみがあるならば、その心は、漏尽に到達する事ができないが故に、正確に専注することができない。

しかしながら、比丘たちよ、増上心を務め修習する比丘は、常に定相を作意し、常に精勤相を作意し、かつ、常に捨相を作為し、その心は柔軟になり、作業に適合し、極めて光浄(=清らかで光り輝いている)で、脆弱でなく、漏尽に到達して、正確に専注することができる。

比丘たちよ、善くて巧みな金細工師または金細工師の徒弟が、溶炉を準備してそれを燃焼しようとする時、いまだ製錬していない金を鋏で挟んで、溶炉に入れる。彼は常にそれの為に火を煽り、それに対して、常に水を掛け、常にそれを見守る。

もし、当該の金細工師または金細工師の徒弟が、いまだ製錬されていない金の為に、ただ火を煽るだけであるならば、それは焼け過ぎになってしまう;もし彼がただ水を掛けるだけであるならば、それは冷えてしまう;もし、彼がただ見守るだけであるならば、それは正確な製錬を得ることができない。

しかしながら、もし、金細工師または金細工師の徒弟が、常にいまだ製錬されていない金の為に、常に火を煽り、常に水を掛け、常に見守るならば、それは柔軟なものに変化し、作業に適合し、極めて明るく輝き、脆弱でなく、正確に打ちたたかれることができる;彼がどの様な装飾品を造りたいと思っても、金塊でも、指輪でも、首飾りでも、ティアラでも、彼は彼の思い通りに造る事ができる。

同様に、比丘たちよ、増上心に精勤し修習する比丘は、常に三相を作意しなければならない。

(一)常に、定相を作意する事

(二)常に、精勤相を作意する事

(三)常に、捨相を作意する事

比丘たちよ、増上心に精勤し修習する比丘は、常に定相を作意し、常に精勤相を作意し、かつ、常に捨相を作意し、その心は柔軟になり、作業に適合し、極めて清らかに光り輝き、脆弱でなく、漏尽に到達する事によって、正確に専注することができる。

もし、チャンスがあるならば、それはすなわち、彼が今生において八定を証得し、また、過去世において充分な波羅蜜を蓄積しているならば、彼は、己自ら智を証する事を通して、能力を獲得して、結果、見証者になることができ、その時彼は、どの様な心の趣向をも、見証することができ、親証智(=己自ら証した智)を通して証悟した所の法を、見証することが出来る。

(6-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>