Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」6-41(203/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

12.4.12 精進(viriya)

精進とは、奮闘の境または行為をいう。

その特徴は支持、奮闘と駆動;

作用は支持または安定した相応の名法;

現起(現象)は後戻りしない事;

「激励を受けて、彼は明智的に奮闘する」ため、その近因は、恐怖感または界に尽力するかまたは精進するかであって、すなわち、精進を惹起できる所のすべての事柄。

ちょうど、古い家屋に、新しい柱を何本か加えて、それが倒壊しない様にする様に、または後方部隊の軍隊が、国王の軍隊を助けて敵を倒すが如くに、精進は、すべての相応の法を支持し、それが減退しない様に、することができる。

正確は進展の下、一切の成就の根本である。

12.4.13 喜(pīti)

それは、心と相応する所の心所を清くさわやかにし、喜悦し、満足せしめ、精神は渙発するが故に、それは喜である。

諸々の禅支を説明するときにすでに言及したが、その特徴は「喜びまたは満足」(sampiyāyana)である;

作用は、身と心を清くさわやかにして、または喜悦を遍満させる;

現起(現象)は喜悦;

近因は目標または名色。

註釈では、その近因に言及していないが、我々は、近因は目標または名色である、と言う。

12.4.14 欲(chanda)

ここでいう「欲」は、行動への欲(kattu-kāmatā)である。すなわち、有る事柄を実行したい、またはある種の成就を得んとする事である。

この「欲」(chanda)と、不善に属する貪(lobha)または貪欲(rāga)とは、その精進(+の性質に基づいて)区別しなければならない。

諸々の經の中において、「欲」(chanda)は、貪(lobha)または貪欲(rāga)と同じ意味に用いられていて、故に、不善の含意を擁している。しかし、諸々の(+他の)經において、「欲」は善心所が潜在している、すなわち、正精進であると言う。それは、それらが不善法を断じ除きたいと欲し、善法を得たい欲する時を言うのである。

貪または貪欲に相応する欲は、絶対に不善である;

しかし、それが善心所と組み合わさった時、善量な目的を追求する所の善欲となることができる。

欲の特徴は、行動を欲する(善業または悪業を造(ナ)す);

作用は、目標を探す事;

現起(現象)は目標を必要とする事;

近因は目標の希求。

心の手が目標に向かう事と見做すことができる。

12.4.15 信(saddhā)

信の特徴は、信心(=確信)のある事。

作用は清らか、清水宝石が混濁した水を清らかに変えることができるが如く;

または啓発、洪水の流れを渡が如くである。

現起(現象)は迷妄でない事、心の不浄を取り除く事、または猶予しないと決意する事。

近因は八種類の、信じるべき事柄、または正法の聴聞及びソータパナ支。

12.4.15.1 八種類の信じるべき事柄

1、仏

2、法

3、僧(=サンガ)

4、(戒・定・慧)三学

5、過去蘊

6、未来蘊

7、過去と未来蘊

8、縁起

(6-42につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>