パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10‐13(310/430)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
回答五
「ここにおいて、学生よ。
男性または女性がいて、憤恨(=憤怒と怨恨)と悩怒(悩み怒り)し易い性格を持ち、少しばかりの批評であっても、彼は憤怒し、怒り、敵意を持ち、憤慨し、憤恨、瞋恚、不満を顕す。
この様な行為を履行し、従事するが故に、身体が壊滅し、命尽きた後、彼は苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わる。
しかしながら、もし、身体が壊滅し、命尽きた後、苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わることなく、人として生まれ変わった場合、それがどこに生まれ様とも、醜悪になる。
学生よ。
これが面相の醜悪に到る道であり、それはすなわち、容易に憤怒する性格で、少しばかりの批判であっても、彼は憤怒し、怒り、敵意を持ち、憤慨し、憤怒、瞋恚、不満を顕す(+時、それは、醜悪へ到る道である)。」
ここにおいて、私は五つの醜悪(Pañcapāpī)の物語を語りたいと思う;
彼女は、波羅奈城(Bārāṇasī)の一人の貧乏人の娘で、彼女の手、足、口、目、鼻は、みな醜悪であり、故に「五醜」と呼ばれた;
しかしながら、彼女の触感は殊勝で微妙で、人を迷わせるものであった。
これらはみな、彼女の過去世において累積した所の業が造りだしたものである。
ある過去の、ある一生において、彼女は、波羅奈城の、一人の貧乏な家の娘であった。
一人のパッチェカ仏(Paccekabuddha)、己の住居を整えるために、一塊の粘土を欲したので、彼は波羅奈城に托鉢に行って、粘土を貰おうとした。
そのパッチェカ仏は、静かに彼女の家の戸口に立った。
一目見て、彼女は非常に怒って、そのパッチェカ仏を見ながら、内心では、彼が粘土を貰いに来たことを責めた;
しかし、そうは言っても、彼女は、パッチェカ仏に粘土を渡した。
彼女の善業は、瞋恚に取り囲まれていた。
善業が彼女を女性として生まれ変わらせたものの、しかし、彼女の瞋恚によって、彼女は非常に醜悪であり、五醜と呼ばれることになった。
彼女の触感が、人を迷わせるほどであるというのは、彼女がその時、パッチェカ仏が家を整えるための粘土を、布施したためである。
しかしながら、彼女の過去世の善業は、人を迷わすほどの感触によって、果報を生じたのである;
ある日、彼女は無意識に、波羅奈の国王バカ(Baka)にぶつかった。
バカは彼女を好きになり、一人の紳士に化けて、彼女の家を訪問し、ā 彼女を妻として娶った。
その後、バカは彼女を皇后にしたいと思ったが、彼女の醜悪な外面が、衆人の笑いものになることを恐れた。
そこで、バカは一つの方法を思いついた。
人民が誰でも、五醜の極めて殊勝で、妙なる触感を体験できる様にし、その直後に、彼女を皇后にする、という計画であった。
その後、その他の王妃が彼女に嫉妬して、彼女を一艘の船に乗せて、河の流れに沿って流した。
もう一人の国王巴瓦里亜(Pavariya)が彼女を獲得して、彼女は己に属するのだと宣言した。
バカはそれを聞いて、非常に怒り、巴瓦里亜に戦争をしかけた。
しかし、その後、彼らは和解して、その時から、五醜は隔週ごとに、それぞれの宮殿で過ごすことと決めた。
こうしたことから、仏陀は《小業分別經》の中において以下の様に言う:
「業こそが、衆生の高下(=高低)を決める。」
次に、六番目の回答を聞いて下さい:
「しかしながら、学生よ。
ここにおいて、男性または女性がいて、憤恨(=憤怒と怨恨)と悩怒(悩み怒り)し易い性格を持たず、多くの批評を受けても、彼は憤怒せず、怒らず、敵意を持たず、憤慨せず、憤恨、瞋恚、不満を顕さない。
この様な行為を履行し、従事するが故に、身体が壊滅し、命尽きた後、彼は楽趣、乃至は天界に生まれ変わる。
しかしながら、もし、身体が壊滅し、命尽きた後、天界に生まれ変わることなく、人として生まれ変わった場合、それがどこに生まれ様とも、彼は美しく生まれる。
学生よ。
これが外面の美しさに到る道であり、すなわち、憤怒と悩怒の性格を具備せず、たとえ多くの批判を受けても、彼は憤怒せず、怒らず、敵意を持たず、憤慨せず、憤怒、瞋恚、不満を表現することがない(+時、それが美しさへの道である)。」
(10‐14につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>