Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-19(320/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

「ここにおいて、学生よ。

男性または女性がいて、食物、水、衣服、馬車、花輪、お香、油膏、ベッド、住居、灯明を沙門または婆羅門に布施をしない。

この様な行為を履行し、実践するが故に、身体が壊滅した後、彼は苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わる。しかし、もし、身体が壊滅し、命終わる時に彼は苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わらず、人として生まれ変わったならば、どこに生まれ様とも、彼は貧窮する。

学生よ。

これが貧窮に到る道である。すなわち、食物、水、衣服、馬車、花輪、油膏、ベッド、住居、灯明を沙門または婆羅門に布施しない(+者の道である)」

 この經文の意味は:嫉妬と吝嗇によって、己自身に、多くの物品があって、布施をするのは可能であるのに、しかし、糸一本さえも布施しない。

吝嗇が原因で、人は四悪道の一つに生まれ変わるか、または貧困な人として、生まれ変わることになるのである。

私は、須婆の父親である都提婆羅門(Brahmin Toddeya)の物語を語りたいと思う:

彼は大沙羅婆羅門(Mahāsāla Brahmin)と呼ばれたが、その意味はすなわち、伊車能伽羅(Icchānankala)と瑪那沙卡達(manasākata)の集会の中の婆羅門の内、卓越婆羅門と呼ばれることができるということである。

彼らは非常に長く都提村(Tudigama)に住んでいたため、都提(Todeyya)と呼ばれた。

彼は、憍薩羅国(Kosala)波斯匿王(King Pasenadi)の国師であった。

彼は非常に裕福であったが、しかし、非常に吝嗇であった。

故に、仏陀とサンガの人々が舎衛城に住んでいても、彼は何一つも、彼らに布施をすることがなかった。

彼は常に、息子の須婆に対して、どの様なものであっても、決して人に与えてはならない、ミツバチが蜜汁を一滴一滴集めて、累積する様に、白蟻が、一粒一粒土を積み重ねて、蟻塚を造る様に、不断に富を累積せよ、と教え諌めた。

彼は彼の吝嗇のために、死後、己自身の家の犬に生まれ変わった;

須婆は非常に、この犬を可愛いがっていた。

仏陀が須婆の家に来た時、その犬は仏陀に向かって吠えた。

仏陀はこの犬を責めて、都提と呼んだ。

須婆はそれを聞いて非常に怒ったが、しかし、仏陀がその犬に、前世において人であった時に、埋めておいた宝物を掘り起こさせて、この事を通して、その犬が、確実に、須婆の父親が生まれ変わったのである事を証明し様としたのである。

その犬は死後、地獄の生まれ変わった。

羅沙迦提舎の物語もまた、覚えておいて欲しい:

彼の嫉妬の吝嗇のため、彼は地獄(+に生まれて)苦を受けた後、人として生まれ変わることができたたが、しかし、どこに生まれても、いつも非常に貧困であった。

こうしたことから、衆生は、己自身の心内の煩悩に汚染されるのだという事が分かる。

次に第10番目の答えを聞いて頂きたい:

「ここにおいて、学生よ。

男性または女性がいて、食物、水、衣服、馬車、花輪、お香、油膏、ベッド、住居、灯明を沙門または婆羅門に布施する。

この様な行為を履行し、実践するが故に、身体が壊滅した後、彼は楽趣に乃至天界に生まれ変わる。しかし、もし、身体が壊滅し、命終わる時に彼は天界に生まれ変わらず、人として生まれ変わったならば、どこに生まれ様とも、彼は裕福となる。

学生よ。

これが裕福に到る道である。すなわち、食物、水、衣服、馬車、花輪、油膏、ベッド、住居、灯明を沙門または婆羅門に布施する(+者の道である)」

(10-20につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>