Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-24(330/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

この点に関して、単純にただ、これらの問題に関して質問するだけで、智慧のある人になる訳ではない。

問題を質問した後、法に基づいて実行しなければならない。

摩訶俱稀羅尊者(Mahākoṭṭhika Thera)は、非常によい例である。

勝蓮華仏の時代、彼は一人の在家居士でったが、勝蓮華仏が一人の比丘を、無礙解智(paṭisambhidāñāṇa)第一の大弟子であると宣言するのを見徹底的、未来物の教化の時代に、同様の栄誉を得たいと発願した。

この目標を達成する為、彼は仏陀と10万人の比丘に親しみ、七日間、飲食を布施し、かつ最後に、彼らに三枚の袈裟を供養した。

この種の心願を達成する為には、三蔵聖典を学習し、註釈及び疑問の部分を研究し、仏法を恭しく、尊敬の念でもって聞き、かつ、実際に止禅と観禅を修行し、行捨智の段階に到達しておかねばならない。

あの時の人類の寿命は、10万歳であったが、彼のあの一生の中において累積した所の、上に述べたあれらの波羅蜜は、四無礙解智を伴う、阿羅漢果を証悟するときに必要とされる修行方法でもある。

摩訶俱稀羅尊者は、過去世において、己自身の願望を達成するために、まさにこの様に波羅蜜を実践していたのである。

最後に、彼は願望を達成して、彼はゴータマ仏の弟子の中において、無礙解智第一の者になったのである。

彼の最後の一生において、彼は舎衛城の裕福な家庭に生まれた。

父親は阿摂拉亜那(Assalāyana)であり、母親は旃陀瓦第(Candavatī)である。

彼はウェーダに精通し:

仏陀の説法を聞いた後、出家して修行に精進し、かつ、久しからずして阿羅漢果を証得した。

彼は常に仏陀や、同修の比丘たちに仏法を質問したが故に、彼は非常に無礙解智に精通していた。

まさにこのことが原因で、仏陀は《中部・根本五十經篇、大方広經》(majjhima Nikāya、Mūlaoannasa、Mahāvedalla Sutta)において、彼を無礙解智第一の大弟子であると、宣言したのである。

この経の中において、摩訶俱稀羅尊者が、シャーリプトラ尊者に対して提出した所の回答は、非常に深く、玄妙であった。

異なる部のニカーヤにおいて、摩訶俱稀羅尊者とその他の傑出した尊者との間の討論が描写されている。

シャーリプトラ尊者は、相当、摩訶俱稀羅尊者を敬い、重視していた様である。

《長老偈》(Theragāthā)には、シャーリプトラ尊者が、摩訶俱稀羅尊者の卓越した徳行を讃嘆する三首の偈があるが、それは以下の通りである。

内心の寂静と善は、自ら護る、

掉挙なく、智慧に基づいて言説する、

彼は一切の邪悪の法を一掃し、

風が吹いて枯れた木の葉の様である。

内心の寂静と善は、自ら護る、

掉挙なく、智慧に基づいて言説する、

彼は一切の邪悪の法を断じ除き、

風が吹いて枯れた木の葉の様である。

内心の寂静によって、安穏であり、無憂であり、

徳行が明浄で垢による汚染が全く無く、

持戒清浄で、智慧深く、

彼は一切の衆なる苦を滅尽した者である。

(10-25につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>