Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~もしばなカード

昨日、大分大学付属病院主催の「緩和ケア講演会」に参加してきました(県立図書館にて)。

緩和ケアの現実、現況の説明が聞けるか、と期待して行ったのですが、今回は、すでに 4回目に当たるため、

エンディングノートについて》が主題になっていました。

少し当てが外れて、がっかりしましたが、ワークショップで<もしばなカード>というゲームをして、これがとても楽しく、また有意義でした。

トランプかと見間違う様な、カードが 30枚くらい、裏に「痛みは避けたい」「安心したい」「本音を話せるやさしい医師にみてもらいたい」「尊厳を守りたい」などという、臨終の時の、自分の希望を表現する言葉が書かれていて、それをゲーム参加者に、手札として5枚くばり、途中で「この札はいらない(この言葉は必要ない)」と思った場合、別の札と交換します。

ゲームの状況設定は

【もしも、余命5か月と宣告されたならば、あなたはどのカードを選びますか?】

こうして、ポーカーの様に、手札を交換しながら、好みのものが集まる様にして、自分の気持ちを代弁してくれる札が 5枚、手元に残る様にします。

最後に締めとして、そこから、自分が重要でないと思う 2枚を捨てて、残りは3枚。

これが、臨終の時の己の希望、意思になる、というもの(あくまでゲームです)。

私は

1、意識がはっきりしていてほしい。

2、家族に葬式、お墓の話をしておきたい。

3、・・・

2 と 3 が似ていたので、3 の文章を忘れてしまいました・・・^^;

1の [意識がはっきりしていて欲しい]というのは、臨終の時、サティ(正念)を持って善趣に趣きたい、という事です。これは、僧侶としての最後の願い、矜持です。

驚いたのは、私が(1)選んだ理由を説明をした所、ゲーム参加者の中に、涙ぐんていた人がいた事です。彼女からは、人生の方向性を見極めたいのに、それを教えてくれる人に出会わないできたもどかしさを、感じました(注)。

己の生きざま、死にざま、生き方の方向性・・・老い、死を目の前にして慌てない様に、若い内から、考え、実践しておきたいものです。

注:私の説明は以下の通り:

「私の手元に[痛みがない様に]と[(臨終の時)意識がはっきりしていてほしい]という二枚のカードが来ました。どちらか一方を捨てなければならない、という状況が生まれましたので、[痛みがない様に]のカードを捨てました。臨終の時、きっと、身体は痛みます。その時、[痛みがない様に]と願うのではなく、痛みを受け入れつつ、意識は明晰でいられるなら、それがベター、またはベストだと、思うのです」。。。

長年、安般念でサティ(正念)を修習しても、ソータパナ以上の聖者になるのは至難ですが、正念は、臨終の時に必ず役に立つ。

長年の地道な努力は、最後に報われるのだ、と確信しています。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>