般若の独り言~自分の人生を生きる
今朝起きて、IT のニュースを見ていましたら、田嶋陽子さんの
「(フェミニストという言葉と関係なく)あなたは子供の頃に望んだ自分の人生を生きていますか?」
という問いかけに、出会いました。
私 「Yes!」 です。
私が4歳の時、大阪の親戚(伯父・叔母)の里子に貰われた事があります。
先方には子供がなく、大きな商売をやっていたので、それを私に継がせようと考えたのでしょう。
私は大阪にやって来て何日か後に、叔父と叔母に抱かれて、彼らの経営する商店を見て回りました。
その時思ったのです
「この人たちに育てて貰ってはならない。
この人たちに恩を受けたならば、私は恩返しの為、彼らの商売を継ぎ、彼らの老後を見なければならなくなってしまう。それは、私の望む人生ではない。」
「私には大きなミッション(注1)がある。
実家(神戸)に帰って、祖母に育てて貰おう。
祖母なら無償の愛で育ててくれるから、大きくなったら、私は私の望む人生を歩む事ができるに違いない」(日本に馴染めなかった母が台湾に戻ってしまった為、祖母が孫の面倒をみていた為)
そして、私は大阪の伯父宅でハンストをし(正確には、食事はしたけれど、沈黙の行をして、伯父叔母と、一切話をしなくなった)、伯父叔母は「この子は我々に馴染まない」といって、半年後、私を実家に戻してくれました。
実家に戻った私は、思わずガッツポーズ(笑)。
その後、私 5歳の時に、父の蓄音機(古いですね~笑)から流れてくる歌曲【お富さん】の中のフレーズ《お釈迦様》という一句を聞いて、雷に打たれた如く、直立不動になり
「私は大きくなったら、この人の事を勉強する」
「これは遊んでいる場合じゃないぞ」
と思いました。
いや本当に、ゴータマ仏陀の教えの真髄、アビダンマ仏教を学び、修行しようとしたら、遊んでいる場合ではありません(笑)
来年は、出来る限り、海外のリトリートに出る予定です。
フェニミズムと言わずとも、
凛凛として独立不羈・・・そんな人生でありたいものです。
(注1)4歳の子供が、こんな難しい言葉を知っていたわけではないですが、「私は商売をしに生まれて来たのではない」という意識、決意の様なものは、はっきりと認識しておりました。