今朝、IT のニュースに
【ローマ教皇、女性の手を叩いた事を謝罪】
とありました。ローマ教皇が信者達に謁見している時に、一人の女性が、教皇の手を掴んで離さずに、かつ引っ張ったので、教皇が思わず女性の手を二度、叩いた・・・
また、その行為を翌日、教皇が謝罪した、というニュースです。
教皇は
「キリストも女性から生まれた。
我々はどの様な形にしろ、女性に暴力を振るってはならず、女性を蔑んではならない」
と述べています。
振り返って、我らがゴータマ仏陀は、2600年前にこの様に言いました:
「我々は皆、母の子宮から生まれてくるが故に、
万人は平等である」
これは、当時の婆羅門階級が、
【婆羅門は母の頭部から生まれ、クシャトリアは母の脇から生まれ、商人階級は母の腹から生まれ、最下層の奴隷階級は母の足から生まれる】
と説いていたものに、婆羅門から決別して、沙門であったゴータマ仏陀が、真向から異議を唱えたものです。
【人は、誰もが母の子宮から生まれる】
と言う当たり前のことが、支配階級によって差別意識をプロパガンダされてしまうと、婆羅門階級(支配階級)から奴隷階級(被支配階級)の者までが、一体になって、非科学的な教えを信じてしまう不思議さ・・・洗脳と同調圧力の恐ろしさでしょうか?
仏教がインドの国境を越えて、東へミャンマー、スリランカ、タイ、カンボジア、ベトナム、インドネシア、北へシルクロードの各国、中国へと伝わったその原動力の一つは
【万人は平等である】
という教えにあったと思います。
但し、仏教はそれほど単純ではなく、輪廻による<業>を説きますから、その後ろには
【人は本質において平等であっても、個々の表れには違いがあり、幸、不幸もまた自己責任である】
という、厳しい教えが控えています。
《人は皆平等である》という誇りと博愛を胸に、しかし、生きている間に出会う所の、さまざまな困難は己の<業>が齎すものであるが故に、苦しみを他者に責任転嫁する事なく、その一つ一つを、誠実に受け入れるしか、他に行く道はない・・・(輪廻の苦海を横超する最も有効な方法が<涅槃>という訳です)。
《仏法を理解した者は、勇気を持って生きる事ができる》
仏陀の教えに出会った喜びを、その様に言い表したパオ森林僧院の比丘尊者がおられまししたが、正にこの事を指しているのだと思います。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Paññādhika Sayalay般若精舎>