先日、知り合いの老女から
『「愚を守る」ってなんですか?』
と質問されました。
自分なりに、答えは既にあるのですが、
【山頭火著作集Ⅲ】の副題が[愚を守る]
なのを発見しまして、参考までに、読んでみました。
山頭火の著書は、若い時に一度読んだことがあります。
漂泊の乞食僧という生き方は、私は好きですが、出家しながら、猶、酒好き、女性好きというのはどういう事かと、一滴もお酒を飲めない私は、当時、「??」でした。
今回、改めて読んでみて、山頭火は
己の原点に帰るべし、
音は音として(妄想せず)、
執着を放下着・・・
等など、仏道で要求される修行はしているのですが、どうしても自由律俳句で自己表現がしたい・・・
この矛盾に苦しんだのかも知れません。
仏道の修行は言語道断、言葉を離れたところに穏座せねばならないのに、己に深く沈潜すると、心の底から、言葉が湧いて来る・・・
僧侶で詩人という存在は、難しいものだと、思いました(以前なら、出家していながら酒を飲み、いつも句作の事ばかり考えているなんて、仏陀の弟子ではありえない、と批判したかも知れませんが、私も年をとって、人は業を背負って苦しむ存在であることが分かってきましたので・・・人間、そんなに簡単に悟れるものではないですね)。
注:南伝仏教(タイ、緬甸等)では、出家した比丘が、酒を飲み、女性関係があれば、即刻、サンガ追放です。「戒・律を守れないならば、還俗して、在家で修行して頂きたい」となります。
日本の大乗仏教は、酒、異性、金銭に大甘で、その為、ゴータマ仏陀の教え(の原点)が分かり難くなっている、と思います。
中華圏の大乗は、今も、酒と異性に厳しいです。金銭受持には少し甘く、肉食には厳しく、出家者全員、菜食を守っています。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>