本日、私がブログに書きました
<みやもとそうご様のコメントへの回答(1~3)>
を読まれました、みやもとそうご様より、二度目のコメントを頂きました。
なかなか難しい質問が書かれています(笑)。
まず、私は、みやもと様が最初に私に下さったコメントが、私を批判したものであるとは、思っておりませんので、ご安心下さい。
パオセヤドーの著書を読み、パオメソッドを理解し、実践するだけでも大変で、タイ、緬甸、スリランカにまたがる、テーラワーダの色々な宗派の違いまで考慮するとなると、私には、とても手に負えません(笑)・・・緬甸内部の宗派の争いは、多少は聞いて知っていますが・・・。
経典やアビダンマなど、どこまでがゴータマ仏陀の金言で、どれが後世の加筆か、ねつ造か、を考察するのは、365日をまるまる研究活動に捧げている仏教学者でも、なかなか結論を出せない難題だと思います。
私は、子供の時に、経典の中の【雪山童子】篇を読んで、大変に感動し、大人になったら<無常・苦・無我・涅槃>について探求するのだと、決意しておりました。
タイのアーチャン・チャーの孫弟子になって、修行もしましたが、パオセヤドーの「智慧之光」(中国語版)に出会った時、これは私が探し求めていた修行方法だと直感しました。
もしも、私が仏教学者なら、パオメソッドって本当にゴータマ仏陀の直伝なの?と疑ってしまい、パオ森林僧院まで出かけて修行することもなかったかと思います。
仏教が好きか、キリスト教が好きか、仏教でもテーラワーダが好きか、大乗が好きかなどなど、もうこれは、不思議な縁で、としか言えない様に思います(銘々の業ですね)。
台湾やマレーシアなど、中華・華人圏で出版された、中国語の仏教書を読んでいますと、大変に面白い現象に出くわします。
大乗がテーラワーダを批判する時、
「我々こそ、仏陀の本懐を担っている」
「源流に帰れ」
と主張します。
そして、テーラワーダが大乗を批判する時も、
「仏陀の本懐に帰れ」
「原点に帰れ」
と言います。
双方が、それぞれ、相手の教えの中に欠点を見つけて、《我こそはゴータマ仏陀の継承者である》と、雄たけびを上げている訳です。
私は、どの宗派にも長所と欠点があり、どれを選んで所属するかは、己自身が一番好きなもの、ピンと来るものを選べばよい、ゴータマ仏陀のいない今、完璧な宗派というのは、もう存在しないのではないか、と思っています(それにしても、日本の大乗は、逸脱度が半端ないですが~笑)。
あまり答えになっていませんでしょうか?
今日は、この辺で。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>