第二節 何が徹底的に知られねばならないか
仏陀が四聖諦を教導するのは、我々が第三聖諦ーー涅槃、すなわち、輪廻と輪廻の苦の完全なる止息を証悟できる様にする為である。
当然、適切な条件がなければ、証悟する事はできない。
《尖頂閣<注15>経》(Kūṭāgāra Sutta)の中において、仏陀は先に、諸々の苦を徹底的に止息する事の出来ない条件を指摘している:
「比庫たちよ。ある人がこの様に言うとしよう:
『我々は、尖頂閣の下部の部屋を建てなくても、上部の部屋を建設することができる。』
この様な事は決して有り得ない!
同様に、比庫たちよ、若しある人がこの様に言うならば:
『[1]私は苦聖諦を如実に証悟しなくても、
[2]苦の集聖諦を如実に証悟しなくても、
[3]苦の滅聖諦を如実に証悟しなくても、
[4]苦の滅に向かう道聖諦を証悟しなくても、
完全に苦から離れる事が出来る』
その様な事は決してありえない!(S.5.1114)。
この事は、我々は、まず先に徹底的に第一聖諦ーー苦(dukkha)と第二聖諦ーー苦集(samudaya)を知る必要がある、という事を意味している・・・そうでなければ、出世間第四聖諦、すなわち、出世間八支聖道を証悟する事が出来ない、とう事である。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>