翻訳『親知実見』#12-3
世間的観智の心は、強くて力のある「観の光明」(vipassanobhāso)を生じせしめるが、しかし、出世間的観智の心は、更に強くて力のある光明を生じせしめることができる。
例えば、仏陀の覚醒の時の光は、一万この輪囲世界を返照することができる。<注36>。
この種の光明は、如何にして生じるのか?
慧(Paññā)と相応する高度の専注の心(が原因)である。
この種の心は、多くの代の、非常に明るい心生色法(cittajarūpa)<注37>を生じせしめることができる。
この種の光を頼りに、我々は勝義諦(paramatthasacca)に到達して、諸法を如実知見することができる。
正に、暗室に入る時、我々は光明でもって、内部のものを見極める事が出来る様に。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
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