Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#12-17

1)阿拉漢を証悟する時の滅尽

2)般涅槃の時の滅尽

この二種類の滅尽の因は、涅槃(無為(Asaṅkhata))を知見する事であるーーこれは、苦滅聖諦(Nirodha ariyasacca)における阿拉漢の道智ではあるが、しかし、この事は、あなたが現在において、未来を観照する時、己自身でもって、阿拉漢と般涅槃を証悟する、すなわち、涅槃を知見すると言う事を意味している訳ではなく・・・現段階では、あなたは未だ涅槃を知見してはいないのである。

現段階では、あなたは、ただ、諸々の行法を生起せしめる五つの因が止息する時、諸々の行は二度と生起しない、という事を知見する事ができるだけである。

この種の観智の助けを借りて、あなたは、涅槃を証悟するであろう事が、明確になるのである。

仏陀は以下の様に言う、もし、この点を見る事が出来ないのであれば、あなたは沙門として、婆羅門として目標とする所の涅槃を証悟する事はできない;<注71>

「比庫たちよ、

どの様な沙門または婆羅門(samaṇā vā brāhmaṇā vā)であっても、

[1]老、死を了知しない、

[2]老、死の集(samudaya)を了知しない、

[3]老、死の滅(nirodha)を了知しない、

[4]老、死の滅に向かう道(nifodhagāmini paṭipadaṃ)を了知しない、ならば

生・・・有・・・取・・・愛・・・受・・・触・・・六処・・・名色・・・識・・・行を了知しないならば、

行の集を了知しないならば、

行の滅を了知しないならば、

行の滅の道を了知しないならば、

比庫たちよ、

私はこの様な沙門または婆羅門が沙門の中の沙門、婆羅門の中の婆羅門であると認めない。

この様な具寿者は、現法の中において、己自身の証智でもって、証悟し、かつ成就して、沙門の目標に住するまたは婆羅門の目標に住する事はできないのである。」(S.2.13)