こうしたことから、比庫たちよ、
[1]すべての色、(その)過去、未来、現在、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、そして遠と近、一切の色は皆
『これは私のではない(netaṃ mama)、
これは私ではない(nesohamsmi)、
これは私の自我ではない(na meso attā)』<注78>、
この様に、正しい智慧でもって、如実に照見しなければならない!
[2]すべての受、(その)過去、未来、現在、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、そして遠と近、一切は受は皆・・・
[3]すべての想、(その)過去、未来、現在、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、そして遠と近、一切の想は皆・・・、
[4]すべての行、(その)過去、未来、現在、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、そして遠と近、一切の行は皆・・・
[5]すべての識、(その)過去、未来、現在、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、そして遠と近、一切の識は皆
『これは私のではない、
これは私ではない、
これは私の自我ではない』
この様に、正しい智慧でもって、如実に照見しなければならない!」(S3.59)
言い換えれば、諸行(saṅkhāra)とは、すなわち、名色法及びその因が生起するやいなや、滅し去るが故に、無常(anicca)である事;
それらは生・滅の圧迫を受け続けているが故に苦(dukkha)である事;
それらは自我(atta)または永久不変の実質がないが故に、無我(anatta)である、と言える。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>