今朝起きてみますと、外はまた雪です。
ここ九州の高原では、7日の午後から雪が降り始め、夜中に外気が0度より下がった為、水道管が凍結して4日たちました。
幸い、寸胴鍋とバケツに汲んでおいた水がまだありますので、後一日、一人分の煮炊きをするだけなら、大丈夫、何とかなるでしょう(オハナには、レバー入りのオジヤを鍋一杯、作ってありますので大丈夫)。
今日のWEBニュースに、こんなことが書いてありました。
[幸福を感じるのは年収660万円がピーク]
これは何となく分かります。
660万円あれば、まぁ、必要な品物は、ほとんど買えるでしょう、よっぽどの高級品でなければ・・・。
660万円が幸福のピークというのは、収入が660万円を過ぎても、イライラ、怒りなどのストレスは、減らないからだそうで、これで、[幸福はお金で買えない]という格言が証明されたといいますか、いえまぁ、660万円までなら、買える、という事も証明されました(笑)。
仏教の修行、安般念(入出息念)をしていても、幸福感は高まりますね。私がタイの森林寺院で初めて安般念を実践した時(30歳すぎの時)、
『私って、何の努力もしないのに、命の綱の、呼吸ができる。その上、吸ったり吐いたりする空気はただじゃないの!』と実感し、
《幸福に、お金や学歴なんて関係ない、生きているだけで丸儲け》
と思ったものです。
もう一つ、タイの僧院にいてよく笑ったのが、パーリ語のお経を読む時。
ゴータマ仏陀が教えた、人生は苦である、という理論的根拠として、(人は)老、病、死、愁、悲・・・(から逃げられない)というのがあるのですが、愁、悲の所をパーリ語では soka parideva・・・と読むので、私は毎回ここを読む時に
『え~~!パリではそういう事になっている?』
と思って、ガス灯でぼんやり光る、熱帯の夜のお堂の後部座席で、比丘の方々が唱和する、アカペラの様な読経の声を聞きながら、毎回、クスッとしたものです。
雪が降って、何日も家に閉じ込められて、その上、水道が使えないので、うっとうしくなる事もありますが、安般念をして、鬱々の感情は早目早目に切る・・・それは心心所が無常だから、心が刹那生・滅しているから、出来る。
ゴータマ仏陀が悟ったのは、安般念で、悟った後も安般念を実践していたとか・・・やっぱり<安般念>は最強だ、660万円もいいけど(笑)。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>