南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#15-7

更に一歩進んで、比庫はなぜ、入出息を掌握しなければならないか、という事について、《清浄道論》は以下の様に説明する:

「以前、彼が[入出息]を掌握していない時、思惟無く、専念なく、作意無く、『私は粗い身行(息の動き)を平静にしよう』という省察がなく、[入出息]を掌握した時初めて、その様になる事が出来る。故に、彼の身行、[入出息]は、掌握する前に比較して、更に微細に変化するのである。」(Vm. 220)

 1)思惟(ābhoga):息に注意を払い始める、息を知り察する、意念を息に向けて、「私は息が平静になる様にチャレンジする」の効果に到達する事。

2)専念(samannāhāra):この様に実践する事を継続する。すなわち、息に対して、注意を払う事を持続する事、息に対して、注意を払う事を反復する事、心において息を保持する事。「私は息が平静になる様にチャンレンジする」の効果に到達する事。

3)作意(manasikaāra):その元々の意味は「息を平静にせんと決意する」である。作意とは、心をして、所縁に向かわせる心所である。作意は、心をして、息を識知(認識し、知る事。以下同様)せしめる。

4)省察(paccavekkhaṇa):息を省察<注89>して、心において息が鮮明になる事。「私は息が平静になる様にチャレンジする」の効果に到達する事。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>