翻訳『親知実見』#15-7
更に一歩進んで、比庫はなぜ、入出息を掌握しなければならないか、という事について、《清浄道論》は以下の様に説明する:
「以前、彼が[入出息]を掌握していない時、思惟無く、専念なく、作意無く、『私は粗い身行(息の動き)を平静にしよう』という省察がなく、[入出息]を掌握した時初めて、その様になる事が出来る。故に、彼の身行、[入出息]は、掌握する前に比較して、更に微細に変化するのである。」(Vm. 220)
1)思惟(ābhoga):息に注意を払い始める、息を知り察する、意念を息に向けて、「私は息が平静になる様にチャレンジする」の効果に到達する事。
2)専念(samannāhāra):この様に実践する事を継続する。すなわち、息に対して、注意を払う事を持続する事、息に対して、注意を払う事を反復する事、心において息を保持する事。「私は息が平静になる様にチャンレンジする」の効果に到達する事。
3)作意(manasikaāra):その元々の意味は「息を平静にせんと決意する」である。作意とは、心をして、所縁に向かわせる心所である。作意は、心をして、息を識知(認識し、知る事。以下同様)せしめる。
4)省察(paccavekkhaṇa):息を省察<注89>して、心において息が鮮明になる事。「私は息が平静になる様にチャレンジする」の効果に到達する事。