Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#17-2

例えば、ある禅修行者が、以下の様に考えたとする:

「ただ入息と出息に注意を払うだけで、ジャーナを証得する事ができるのだろうか?取相が白いコットンボールの様で、似相は透明な氷またはガラスの様だと言うのは、本当だろうか?」

この様な考えを長く続けていると、以下の様な見解を導くことになる:

「現今の時代に、ジャーナを証得する事は困難である。」

やがて、禅修行者は、教法に対する信心(=確信)が消失し、同時に、己自身が定の修習を放棄するのを止める事ができなくなる。

故に、入出息念を禅修行の業処として、定力の育成を実践する禅修行者は、堅固な信心(=確信)を擁する必要がある。(その様な禅修行者は)全く懐疑することなく入出息念の修行をするであろう。

彼は以下の様に思惟するべきである:

「ただ系統的に、正自覚者(正しい覚醒者)の教えに従って禅の修習をしさえすれば、私はジャーナを証悟する事が出来る。」

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>