次に、もし、定が強くて、精進が弱い時、この人は、怠惰になってしまう。例えば、禅修行者の定力が向上した時、彼は、リラックスした気楽な気持ちで入出息似相に専注する様になって、それを明確に覚知する事がない為に、怠惰になる可能性がある。
この様な状況の下では、五禅支は強度が不足し、その為に、高度な定力を維持する事ができなくなる。
この事は、彼の心は、有分に落ち込む事を意味する。
しかしながら、もし、精進が強くて、定が弱い時、彼は躁動、不安になる。唯一、定と精進にバランスがとれている時にのみ、彼は、怠惰でもなく、躁動でもなく、かつ、ジャーナを成就させることができる。
止業処を修習したいと希望する人にとって、非常に堅固な信心(=確信)を持つことは、どの様な時にでも、良い事ではなる。
若し、彼が:「私が入出息似相に対して定力を育成しさえしたならば、私は必ずやジャーナに到達する事が出来るに違いない!」
と思うなら、信心(=確信)の力と、似相への専注によって、彼はジャーナを成就することができる、というのも、ジャーナは専注に基づくが故に。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>