観の修行者にとって、慧が強い事は、非常に良い事だ。というのも、唯一、充分に強力な智慧を擁する者だけが、無常・苦・無我の三相を徹底的に透視する事ができるが故に。
定と慧がバランスしている時にのみ、世間ジャーナ(lokiyajjhāna)は生起することができる。
仏陀は、この事は、出世間ジャーナ(lokuttarajjhāna)にも適用する事ができるのであり、かつ、定、慧はまた、精進と信とを合わせてバランスを保たねばならないと、教えている。
念はどの様な状況の下においても、必要である、というのも、それは、心を保護して、過度の信、精進または慧によって、躁動が生じるのを防ぎ、過度の定によって怠惰に陥る事も防ぐことができるが故に。
それは信と慧、定と精進、定と慧をバランスすることができる。