<注87>=
自性相(sabhāva-lakkhaṇa):究極色法または究極名法が具備する特徴の一種。各自特相(paccatta-lakkhaṇa)とも言う;
共相(sāmañña-lakkhaṇa):すべての行法(色法または名法)が共に擁する三種類の特徴:無常、苦、無我。
<注88>=《清浄之道・入出息念論》(Ānāpānasatikathā)(Vm.223)
<注89>=ここでいうpaccavekkhaṇaとvīmaṃsaは同義語である。復注ではvīmaṃsaを使用している。
<注90>=滅定(nirodha-samāpati)は、心、心所と心生色法が暫定的に停止した境地。この種の定に関しては、問答5-1参照の事。
<注91>=この句は、第五版による。
<注92>=ジャーナ名法に関しては、P ~~の図表参照の事。
<注93>=このジャーナの解説は、P ~~参照の事。
<注94>=この段落は、英語版を参照にした。
<注95>=パオ・セヤドーは、以前は下記の様に指導した:もし、接触点において出現する禅相が、すでに安定して、禅相が息、息が禅相であると言う状態になったならば、心を息から禅相に向けて移動して、ただ禅相を覚知すればよい、と。2015年から、セヤドーは、禅修行者が、定力の基礎を更に強固に打ち立てる為に、入出息念の教えを更に細分化した。この部分は、セヤドーの指示に従って追加したものである。
<注96>=禅定心路は、欲界、色界または無色界のいずれか三つの地の意門心路において発生する。この表に列記する内容は、《清浄之道・初禅論》(paṭhamajjhānakathā)(Vm. 69)に基づいている。
<注97>=安止の心の一つ一つの名法は、「如何にしてジャーナ心路を識別するか」を参照の事。
<注98>=「涅槃を知見する」を参照の事。
<注99>=転向と省察は同じ意門心路(manodvāravīthi)に出現する。転向は、意門転向心(manodvārāvajjana)によって執行される。ここでは、五禅支の一を所縁とする。
その後に、4,5、6または七つの省察速行心が続くが、それらの所縁はみな、同じである。詳細は「表1b:意門心路」参照の事。
<注100>=《母山牛経》または《山牛比喩経》(Gāvī‐upamā Sutta)(A.9.35)とも言う。
<注101>=パオ・セヤドーは以下の様に言う:喜(pīti)禅支は禅悦(jhānasukkha)に対して執着を生じる助因の一となるが、しかし、所縁が非常に微細な為、それが欲楽(rāga)に転化する事は無い。それは微細(pīha)なだけである。
<注102>=白骨想:パーリ語aṭṭhisaññāで、または骨想とも言う。北伝仏教では「白骨観」と訳する。
上座部仏教の伝承の中においては、これに類似する仮想観に当たる「観想法門」というものはない。ここで言う想(saññā)は、定力の力を借りて、真実の骨の相、または記憶中の真実の印象を(瞑想の対象)とするものである。同時に、白骨想は、定力を育成するための止業処であり、「観」ではない。